#004『黒船』Sadistic Mika Band(1974)
『黒船』サディスティック・ミカ・バンド
sideA
1. 墨絵の国へ
2. 何かが海をやってくる
3. タイムマシンにおねがい
4. 黒船(嘉永六年六月二日)
5. 黒船(嘉永六年六月三日)
6. 黒船(嘉永六年六月四日)
sideB
7. よろしくどうぞ
8. どんたく
9. 四季頌歌
10. 塀までひとっとび
11.颱風歌
12.さよなら
[Sadistic Mika Band 1974 member]
加藤和彦 : Vocal, Guitar
加藤ミカ : Vocal
高橋幸宏 : Drums
小原礼 : Bass
高中正義 : Guitar
今井裕 : Keyboard, Sax
Produced by Chris Thomas
Rock、Popを聴きはじめの時期にインストの洗礼
80年代に入ったと同時に中学生となった私。その前後の時期からRockやPopに急接近していったわけだが、奇しくもその頃にYMOや高中正義がブレークした。ともに基本的にはインスト。つまり歌のない楽器だけの曲。
それまでインストは「売れない音楽」だったのだが、それが爆発的なセールスを記録するようになったのだから、当時の業界は騒然としただろう。一般のリスナーにとってもある種の革命だったに違いない。
だが私はその頃に本格的に音楽に触れはじめた。だから何のこだわりも偏見もなくそれらのインスト曲を迎え入れ、「気持ちいいーっ、ムズムズする」などと言いながらそれらをDNA化させていったわけだ。我々世代にはそんな経験をした人が多かったのでは。
そのYMOのドラムスである高橋幸宏と高中正義は昔同じバンドに在籍していた、と知ったのは彼らの曲を聴きはじめてからそれほど日は経っていなかったと思う。それくらい雑誌やラジオで音楽情報を吸収していた時期でもあった。
それがサディスティック・ミカ・バンド。高中はソロになってからもライブの最後を「黒船」で締めることが多かったので、すでにその曲はよく聴いていた(「嘉永六年六月四日」です)。
このバンドのリーダーが加藤和彦で、当時はその名前だけしか知らなかった。その後すぐに「あの素晴らしい愛をもう一度」が我がクラスの合唱コンクールの曲になり、「これは加藤和彦なんだ」と驚いたり、もっと前から知っていた「帰ってきたヨッパライ」のフォーク・クルセダースのメンバーだったとわかって絶句したりする。トノヴァンという愛称ものちに知る。
ましてやイギリスでコンサートをしたのだ、という情報も得て、超ビッグ・バンドのイメージが否が応にも植えつけられた。かなりの期待を持って本作を聴いたのは中3くらいだったか。
初聴、かなり衝撃的だった。思っていたよりも和テイストだったけど、かっこいいアンサンブルだと感じた。その情緒を醸しているのは加藤和彦の声である。あの声はやはり日本のポップ・ミュージックにおけるひとつのジャンルとなっていたと思う。その後のお洒落なソロ・アルバムもよく聴いた。
サウンドはもう跳ねまくっていた。和洋を折衷させた日本のRockはこれなのかと半ば楽しみ、半ば勉強した。
で、本作はその後ことあるごとに聴き続けているわけだが、そのたびに聴き方が変わり、発見があり、そのいちいちに納得した。耳が肥えていくほどに、そこに仕組まれた音楽的企みに気づいて、「なるほどねーっ」と言いながら悦に入る。そんな体験を本作で何度したことか。
「黒船」というタイトルのコンセプト・アルバムは、時代をひっくり返してやろう、という意気込みであり、その意図は見事にはまって、逆輸入的に日本に衝撃を与えた。いや、「逆黒船」的にイギリスにショックを与えたとも言える。
加藤和彦がここまできっちりと計算していたのかはもはやわからない。けど、こういう風になるかもね、という期待はあったような気がする。
浦賀に黒船がやってきた衝撃の三日間が迫るA面
深いリバーブがかったエレピの音が繰り返され、そこにギターのハウリングが伸びていき、これは海上深い霧の中を進んでいく黒船をイメージさせる。そのオープニングからして、これからはじまるアルバムの世界を予見させている。1曲目の「墨絵の国へ」はミドル・テンポのバラード。リードボーカルは加藤和彦。
しんきろう めざし
船は進む
幻の国へ
たどりつくため
墨絵の世界の
眠りを揺さぶるため
ゆったりと歌い上げる加藤のボーカルのあとを、高橋幸宏が同じ歌詞を読み上げていく。ここがこの曲の肝だろう。やわらかく静かな曲調の中にも不穏さや緊迫感がうっすらとにじみ出ているところに、およそ数時間後にもたらされる黒船来航による日本の大混乱を匂わせている。この上ない導入曲と言える。
本アルバムの歌詞は、インスト曲と「塀までひとっとび」以外はすべて松山猛。加藤和彦とは古くからの友人で、フォーク・クルセダース、ミカ・バンドを通じて濃く関わっている。作詞家として多くのアーティストに詞を提供しているが、その後は編集者として「平凡パンチ」などカルチャー系の雑誌に携わり、またライターとしても多くの著書を発表している。作曲は加藤和彦。
これを継ぐのが「何かが海をやってくる」。ベースのリフレインにドラムが重なり、ストラトの乾いたギターのフレーズが繰り返される。エレピだけはファンキーに縦横に動く。ジャム・セッションのようなインスト曲。作曲は松山猛とサディスティックスのクレジット。サディスティックスは加藤とミカを除いたバンドのインストルメント陣。中盤からは高中のギターが暴れ出す。幸宏のドラムも熱くなっていく。得体の知れない何者かが今まさに迫りつつあるという雰囲気を作り上げている。エンディングはパーカッションが規則正しく乱れ打ち(不思議な表現だが、そんな感じ)、オープニングのリバーブ・エレピのフレーズが戻ってきて締められる。つまり、1曲目と2曲目でワン・パッケージということ。
そしてミカ・バンドの代表曲である「タイムマシンにお願い」。バリバリのギターのリフにタイトなドラムが乗り、ブレイクのあとにミカの破天荒なボーカル。
さあ不思議な夢と 遠い昔が好きなら
さあそのスヰッチを 遠い昔に廻せば
ジュラ期の世界が拡がり
そこははるかな化石の時代よ
アンモナイトはお昼ね
ティラノザウルスお散歩アハハン
詞は黒船とはあまり関係ない。けれどもいろんな時代へ行けるのよ、だからちょっくら幕末でも覗いてみようかね、といった含みを持たせているのだろうか。
典型的なグラム・ロックの派手な曲だ。演奏は超がつくほど安定しており、シンプルでありながらカラフルでもある。
ミカのボーカルもまた、不思議な世界なのである。決して上手いボーカリストではない。けれどもこの曲のボーカルはこの人でないとダメ。のちに再結成したときには木村カエラがボーカルとして迎えられ、彼女はミカよりもはるかに上手いのだが、でもこの曲を歌わせると、「やっぱミカがいい」となってしまう。この声こそがこの曲の色なのであり、それがクラシックとなっている。こういうケースは他にもかなりある。それが個性で、それがオリジナリティ。作曲は加藤和彦。「おーねがいタイム !」でズバッと終わるのがいい。
ともかくも、この景気付けの一発で盛り上がったあとに、いよいよ黒船来航の三日間がはじまるのだ。
「嘉永六年六月二日」、「嘉永六年六月三日」は9/8という変則リズムのファンキーなフュージョン・セッション。はじめは拍を取るのが難しかった。高中のギターは時折ツイン・ギターでハモる。あっ、ここから3曲はインスト。3曲とも作曲者のクレジットにはサディスティックスと松山猛。なんとなく落ち着かない、地に足がつかない、騒然とした雰囲気を表しているようなアンサンブル。
ピアノのブレークを挟んで、また9/8の変則セッション。その後、4/4に戻り、喘ぎ、呻き、遠吠え、雄叫び、男たちのそんな喚きが続き、幸宏のドラムがタイトなパートがはじまる。「二日」と「三日」はどこからどこまでという境目のようなものはない。けれどもライナー・ノーツにはそれぞれ「0’50”」、「2’56”」と時間が書かれているから、CDなどでピンポイントで聴けばそこで分かれているのだろうが、あまり必然性はないかな。
このパートは合わせて、黒船来航時の混乱を表現しているのか。しかしその姿を見たものはまだ少なく、噂だけが江戸を走ってる感じか。
そしてA面最後が「嘉永六年六月四日」。高中のライブで「黒船」としてよく知られているパートだ。バイオリン奏法のその旋律は、遠くからゆっくりと黒船が近づいてくる様子が、そしてそれを目の当たりにした浦賀の人々の驚きがスローモーションの絵で目に浮かんでくるよう。ライブのエンデングを飾る曲だけに、大変ドラマティックな曲である。私もギターでよくコピーした。
このA面のトータリーティは比類なし。すべての曲が有機的に次へとつながり、嘉永六年六月の数日間の空気感を描き切った。あっという間に終わってしまう。それだけ聴き手を惹きつけて離さないのだろう。これこそがコンセプト・アルバムの醍醐味だ。
場面設定は鎖国時の長崎か、それとも黒船以降の江戸か
B面も詞は全般的に和風テイスト。ただ、こちらはどれも必ずしも黒船に関しているわけではない。江戸時代に出会った西洋文化に対して感じたことや、当時の日本の風光などが描かれている。これは江戸時代の間、唯一西洋文化に触れられた長崎を歌っているのか、それとも開国以降の江戸を歌っているのか、判然としない。
「よろしくどうぞ」はズバリちんどん屋。あるいは見世物小屋の呼び込み。太鼓に鉦にラッパでお祭り的なリズム、調子っぱずれの音なども意図的に盛り込まれて、なかなか気持ちいい。
ハープシコードとワウの効いたギター、切れのいいリズムが軽快な「どんたく」。タイトルからも歌詞からも、これは長崎を歌っている。
葡萄酒を飲もうよ
果物の酒を
今日はどんたくの日 旗立てて
ああ 愉快だねえ 街をねり歩こう
異人さん達はね 日曜日と言って
喇叭鳴らして 太鼓打ち
歌をうたってのんきなものさ
それがどんたく お祭り騒ぎ
七日に一日は 仕事もお休みさ
眼に浮かぶようである。当時の長崎の日本人の姿が。そしてそれを面白がっているのもいい。このあたりのニュアンスを描けているのがすごい。当時の人々の柔軟さ、貪欲さが存分に感じられる。
黒船来航で訳も分からず、天変地異のように駆けずり回ったのも日本人だし、西洋を受け入れて楽しんでいる江戸時代の長崎の人々もまた日本人なのだ。つまり、未知のものはやっぱりよくわかんなくて怖いもの。しかしきちんと見てみると、おんなじ人間のやってることとして理解し、恐れがなくなる。むしろそれを楽しんじゃおうという気質をあぶり出しているのだろう。的は外れてないと思う。作曲は加藤和彦。
「四季頌歌」は美しい日本の原風景を、いにしえの農村の日々の生業を感じさせる郷愁あふれる曲。印象としては冨田勲の「新日本紀行」と同じ匂いがする。それをこの面々がバンドで表現している。作曲は加藤和彦。
ミカ・バンドのライブで最も盛り上がる曲のひとつがこの「塀までひとっとび」。ベースがブンブンいってる。ドラムの手数も多い。ワンフレーズ目に加藤和彦が歌い、次に小原礼、「好き好き好きな」でミカも加わる。サビらしいサビもなく、「ハイハイハイハイ」で高揚する。トリップするという感覚。英国のTVプログラムに出演したときにも演奏しており、ミカはこの曲を「suki suki suki」と紹介している。歌詞は江戸っ子的ではあるが、幕末は関係ない。作詞はなんと林立夫、作曲は小原礼。
続く「颱風歌」もライブではよく演奏された。ミカ・バンドにしてはわかりやすい部類のポップ・ロック・ナンバーだ。中学時代の私はこの曲が好きだった。今も好きだが、その他の曲の面白みがわかってくると、この曲が耳障りの少ないポップスに聴こえてきてしまう。でもよく聴けばイントロとサビ以外はなかなか凝ったセッションで、そこは流石にミカ・バンドと納得。でも黒船は関係ない。
作曲は加藤和彦と小原礼。リード・ボーカルもこの二人で、加藤がメイン。小原礼はその後ろでずっと叫んでいる感じ。Youtubeなどで貴重なライブ映像などを見ていると、小原礼は結構歌っている。で、ミカは思いの外少ない。このアルバムでもリード・ボーカルを取る曲は2曲だけだ。
最後は「さようなら」。アコースティック・ギターのシンプルで静かな弾き語り。途中で深いエコーがかかったエレキ・ギターのフレーズとオルガン系キーボードが入る。作曲とボーカルは加藤和彦。
はじめて目にする物ばかりだ
ギアマン瑠璃色の
切子硝子に見知らぬ花が 鮮やかに
妖しき薫りは ポルトの酒
この黄昏色の
うれいもとかす 優しき味に酔い痴れて
せつない恋にも 似た味なら
煙草このにがさ
カルタ遊びに はるかな国を夢見る
この詞からは長崎の町が浮かんでくる。と同時にこのアルバムを締めるに相応しい江戸時代の世界観が描かれている。曲調は切なく、ほの悲しい。しかし綺麗には終わらない。加藤和彦の歌が終わると、エンディング部分は不安感や、落ち着かないような座りが悪いようなギターとキーボードの音が続いてそれが消えていく。黒船が来た。怖かったけど、なんだか面白そうだ。という段階から次に訪れる不吉なことを予見するような、そんな感じで終わってしまうのだ。
感情や起伏の上がり下がりが大きい、場面転換が多いバラエティに富んだ43分である。
3度の再集結は、どれも色合いの異なるもの
サディスティック・ミカ・バンドは3枚のオリジナル・アルバムを残しており、どれもオモチャ箱をひっくり返したようなハイな内容である。2nd アルバムの本作はそれにトータリティをも持たせて、図抜けた傑作となった。
そして加藤和彦とミカの別離によって、自ずとバンドも解体する。
10年後、1985年6月に「All Together Now」という空前のイベントが国立競技場で開催された。吉田拓郎、オフコース、アルフィー、南こうせつ、さだまさし、佐野元春、サザンオールスターズ等、コンセプトはよくわからないが、新旧取り合わせ当時の錚々たる面々が勢ぞろいした。
このイベントに「ほぼミカ・バンド」が出演。メンバーは加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利(バンド晩期のベース)のオリジナル・メンバーに加え、キーボードに坂本龍一、そしてボーカルは松任谷由実という贅沢な一夜限りのバンドとなった。いわばサディスティック・ユーミン・バンド。
セットリストも掲載しておく。
・Down Town Boy(松任谷由実)
・Merry Christmas Mr.Lawrence(坂本龍一)~シンガプーラ(加藤和彦)~京城音楽(YMO)~渚モデラート(高中正義)~The Breaking Point(後藤次利)
・タイムマシンにおねがい(サディスティック・ミカ・バンド)
メンバーそれぞれの楽曲をメドレーにしたところは面白く、なかなかのものだった。この時期、脂の乗りまくった面々が演奏しているのだから、悪うはずがない。みんなご贔屓のミュージシャンたちだったし。でも「タイムマシンにおねがい」は、いやダメでした。ドンカマとサンプリングがループして、キーボードがエイト・ビートで和音を刻んで、っていうアレンジ。迸るギターのリフがない、というかよく聞こえない。ミックスの問題か。おそらく編曲は坂本龍一だったのだと思うが、彼にはロックンロールは難しかったか。1985年という時代のサウンドでもある。何よりやはり、ミカでなくてはこの曲を最高潮まで持っていけない、と。
このイベントは国際青年年の記念イベントで、日本民間放送連盟が主催したために、ラジオでも生放送され、それを蒸し暑い自分の部屋で聞いた記憶がある。
また、ミカ・バンドだけでなく、はっぴいえんども一夜限りの再結成したのだ。彼らはキツめの電子リズムに合わせて演奏していた。それは驚きだった。いずれ回想しよう。
この2大ロック・バンドが結集しただけで、このちょっと危ういイベントは、少しは日本の音楽史上意味があったとも言えるかな。ちなみに、細野晴臣はこのイベントを「ニューミュージックの葬式」と言った。ある意味、言い得てる。
この4年後、1989年にミカ・バンド再結集。加藤、高中、高橋、小原の4人に桐島かれんをボーカルに迎えてアルバム「天晴」を発表。ちなみに英語表記は「Mika」から「Mica」に変更されている。もちろんこのアルバムも即座に聴いたが、正直あまりピンと来なかった。平成に入ったばかりの日本で、相当におしゃれなサウンドだった。私はこの時期は古いR&Bやブルース、ソウルなどを遡って聴きまくっていたので、触手が動かなかったというのもある。だが、ネットなど見ていると、桐島かれんのミカ・バンドが一番好き、という声も多い。
作詞には安井かずみやサエキけんぞう、森雪之丞。ゲストミュージシャンには坂本龍一、小林武史、忌野清志郎などの名前がある。
それからさらに17年後の2006年、加藤、高中、高橋、小原の4人に木村カエラが加わって活動再開。加藤和彦は59歳。このときは衝撃的だった。
「ミカ・バンドが再結成するらしい。ボーカルは木村カエラらしい」
という情報が入ったときは唸った。木村カエラはまだデビューして2年ほどだったが、初期のロック色の強いポップスは当時の音楽界の中ではかなり異色だった。故に結構面白がって聴いていた。そのカエラがミカ・バンドのボーカルに指名。これはワクワクしないはずがない。
ほどなくキリン・ラガー・ビールのCMでその姿がお茶の間に。ビルの屋上で関係者に囲まれた中でのライブ・セッションは、さながらビートルズの「Get Back」。カエラがボーカルの「タイムマシンにおねがい」も弾けていて、みんな実に楽しそう。これがRockなんだよな、と能書きなしに嬉しい気持ちになった。
その後、アルバム「NARKISSOS」を発表。バンド名は「Sadistic Mikaela Band」に。このアルバムは「大人なロックだ」と思ったが、ヘビロテにまではならなかった。でもその後の一夜限りのライブを収めた「Live in Tokyo」は聴きごたえあり。サポート・メンバーに佐橋佳幸、アンコールでは奥田民生が登場し、揺るぎないロックンロールのライブとなっている。
以上、3度の再集結はどれも毛色の異なるものだった。
その後も期待したのだが、2009年に加藤和彦が鬼籍に入ってしまった。忌野清志郎が亡くなったのと同じ年だった。
高橋幸宏は昨夏、脳腫瘍が発覚して手術。リハビリの日々を送っているという。ツイッター等で時折本人が現状報告をしてくれている。祈・復活。
高中のライブは年に一回くらいBSで放送されるのを見ているが、全盛期に比べたら指の動きが鈍くなってしまっている。涙。
小原礼は先日まで奥田民生のツアーにベーシストとして参加していた。奥方・尾崎亜美の作る朝ごはんメニューを時折SNSで見る。
47年前の作品を久しぶりにじっくりと聴き、メンバーのその後の活動などを思い返して、そこに自分の人生をも当てはめてみるという、期せずして半生を振り返る作業にもなってしまった。少ししんどい作業。