ROCK、POPの名盤アワー

~ALBUMで堪能したい洋盤、邦盤、極めつき音楽遺産~

#011『...NOTHING LIKE THE SUN』Sting(1987)

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モノクロのポートレートは、虚飾なしの誓いのようなもの

 


『...ナッシング・ライク・ザ・サン』スティング

 

sideA

1. The lazarus heart(ザ・ラザラス・ハート)

2. Be still my beating heart(ビー・スティル・マイ・ビーティング・ハート)

3. Englishman in new york(イングリッシュマン・イン・ニューヨーク)

sideB

1. History will teach us nothing(歴史はくり返す)

2. They dance alone(Gueca solo)(孤独なダンス)

3. Fragile(フラジャイル)

sideC

1. We’ll be together(ウイル・ビー・トゥゲザー)

2. Straight to my heart(ストレート・トゥ・マイ・ハート)

3. Rock steady(ロック・ステディー)

sideD

1. Sister moon(シスター・ムーン)

2. Little wing(リトル・ウィング)

3. The secret marriage(シークレット・マリッジ)

 

[Recording Musician]

Manu Katche : Drums

Kenny Kirkland : Keyboards

Mino Cinema : Percussion, Vocoder

Branford Marsalis : Saxophone

Andy Newmark : Additional drums

Gil Evans and his orchestra “Little wing”

Hiram Bullock : Guitar “Little wing”

Kenwood Dennard : Drums “Little wing”

Mark Egan : Bass “Little wing”

Andy Summers : Guitar “The lazarus heart”, “Be still my beating heart”

Fareed Haque : Guitar “They dance alone”

Mark Knopfler : Guitar “They dance alone”

Eric Clapton : Guitar “They dance alone”

Ruben Blades : Spanish “They dance alone”

Ken Helman : Piano “The secret marriage”

Dollette McDonald : Backing vocals

Janice Pendarvis : Backing vocals

Vesta Williams : Backing vocals

Rene Gayer : Backing vocals

Sting : Vocals, Basses, Guitar “Fragile”, “History will teach us nothing”

 

All songs written and arranged by Sting. except for “Little wing”

Produced by Neil Dorfsman and Sting

 

 

 

 

1981年、ポリスの武道館コンサートをFMで聴いて、3ピースに目覚める

 

 ポリスというイギリスのバンドがあって、「高校教師」や「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」という変なタイトルの曲を発表しているということは中1のときには知っていた。ラジオでちょこっと聴いてもいた。で、気になっていたのだろう。

 中1の終わり頃、来日したポリスの武道館コンサートをNHK-FMで90分間オンエアされ、それをエア・チェックした。またもFMネタからになってしまったな。4thアルバムの『Ghost in the machine』発表前である。

 そのライブの衝撃たるや、一気に引き込まれていった。スリリングでスピード感があって、リズムが跳ねて、とにかく痺れるくらいにかっこよかった。これを3人で演奏しているのかと、驚いたものだった。私は3ピースのバンドに惹かれることが多いのだが、それも辿っていけばポリスが原点なのだ。しかも、レゲエ・タッチで「イ・ヨーヨーッ」とボブ・マーリー並みに煽ってくる。で、私はボブ・マーリーより先にポリスに遭遇してたわけである。そのせいか、レゲエは洋楽としてすんなり受け入れられたようだ。

 そのポリスのベーシストがスティング。ちなみにギターはアンディー・サマーズ、ドラムスはスチュアート・コープランド

 エア・チェックしたテープはそれこそ擦り切れるほど聴いた。3rdアルバムまでの代表曲をほぼ演奏したそのライブで、ポリスの音やスタイルをしっかりと刷り込んだ私は、同年に発表された4thアルバムの『Ghost in the machine』を聴いてショックを受けた。

「今までのポリスと違う」

 このアルバムはそれまでよりも大胆にシンセを取り入れ、ちょっと難解な感じを受けたのだ。歌詞を読んでいたわけではないが、そんな雰囲気を読み取った。それは当たっていなくもなく、そのメッセージ性の強い内容のアルバムはかなりの評価を得ていたと知った。

 そして1983年に大ヒット作となる5thアルバム『Synchronicity』を発表する。高1の頃だ。私はすでにバイトをはじめていて、中学時代よりはレコードを買えるようになっていた。といっても毎月というわけにはいかない。でもこのアルバムは即座に買った。収録されている「見つめていたい」が爆発的にヒットする前だったと思う。やはりポリスは好きだったのだ。

 ポリスはこの『Synchronicity』で名実ともにビッグ・アーティストとなった。だが、これが最後のオリジナル・アルバムとなってしまった。これはまったく予想もできず、残念というしかない。

 余談だが、高校に入ってすぐにバンドを組んだ私は、ポリスとU2の楽曲をレパートリーとして練習した。ともに好きなバンドだったということに加え、少人数で音数が少ないというのが選曲の理由だったのだが、いやいや若かったね、考えが。双方テクニックに優れたメンバーが揃っているからこそ、少人数であれだけのサウンドを奏でられるのだ。到底16の私たちが満足な演奏を行えるアンサンブルではないのだ。すぐに断念しました。

 そして1985年にスティングはソロ・アルバム『The dream of the blue turtles』を発表。多分にジャズ・テイストが香る大人なアルバムだった。当時、すべてを理解して聴いていたわけではない。だが、好きな曲も少なくなかった。

 その夏、スティングは来日してコンサートを行った。これが今で言う「フェス」だったのである。しかも、他にフォリナー、ディオ、ママズ・ボーイズなど、随分無節操なライン・ナップだった「スーパー・ロック・85」。場所はまだほとんど建物などないお台場の埋立地。かろうじて船の科学館はあったか。レインボー・ブリッジもフジテレビもない頃。バスでピストン輸送された会場は前日来の雨でドロドロ。そこでオールナイトなのである。はじまる前から憂鬱だった。

 本来、ビッグ・ネームになればなるほどコンサートの終盤に登場するものなのだが、スティングは2番目に出てきた。オールナイトだから夕方スタートのライブは日が暮れきったその位置が最良の時間帯なのだ。スティングはギターを持って、ソロ・アルバムの曲を中心にステージを進める。劣悪な環境ながら、やはりそのステージは洗練されて、圧倒された。ポリス時代の「ロクサーヌ」はエレキ・ギターで弾き語りだった。

 日付が変更する頃に出てきたブリティッシュ・ハードロックの雄、ディオのステージも圧巻だった。深夜にきらびやかなライトが夢のようだった。そう、夢見るような時間になっていた。うつらうつらしそうになって…。最後に薄曇りの白茶けて明けきった朝に登場したママズ・ボーイズの頃は、朦朧。寝ている人も多数。トリなのに。懐かしい高3の夏の一夜だ。

 その2年後、1987年10月に発表されたのが2ndアルバム『...NOTHING LIKE THE SUN』である。一浪して大学に入った年の秋だ。大学に入ってバンド活動に精を出す、という目論見は破れ(そこに自分の志向に合う音楽人がいなかった)、ひとりアコギを持ってふらふらと街をさまよっていた頃だった。

 前作を踏襲しつつもそれをより深くなおかつポップに昇華させた、80年代後半を代表する作品だと思う。

 で、確かこのアルバムは2枚組のLPで発売されたと記憶している。いま手元にあるのはCDで、収録時間は56分。これはLP1枚に収めるのは厳しい。「随分変則的なアルバムだなあ」と当時も思ってた。そんなことも思い出した。なので、上記曲の収録リストも書き直した次第。sideDまでなんて、今の人にとっては違和感ありありでしょう。そのsideDは11分もない。贅沢なのです。ってことは、音質も良かったのか? そこは今となってはわからないです。LP、なんとか入手すっか。

 

 

A面3曲はまったく隙なしのスティングの極み、やられた

 

 A1は「The lazarus heart」。サウンドは前作『The dream of the blue turtles』を踏襲している。スティングのソロ初期のサウンドに欠かせない味付けをしているのが、ブランフォード・マルサリスのサックスだ。この曲も然り、イントロからすぐにスティングの色に染めてくれる。煌びやかなアレンジを施されているが、音数は印象よりは少ない。リズムはシャープで跳ねる、キレがある。エンジニアの手腕が発揮されているとみられる。音を細かに散らばせているのはアンディー・サマーズのギターで、彼は次の曲にも参加している。そして本作のベースはほぼスティング自身が演奏している。これも特徴のひとつと言える。歌詞は多分に宗教的だ。サビの部分の訳詞。

 

 来る日も来る日も新たなる奇跡

 死だけがぼくらを引き裂くだろう

 命をあなたに捧げるべく

 ぼくはラザロの心臓の血となろう

 

 次が「Be still my beating heart」。ベースがフェード・インしてくるイントロから少々穏やかでない雰囲気。イギリスのどんよりとした空が喚起される。基本的にはサウンドはループ、キーボードとギターが効果音的に動きをつける。ポップとジャズのテイストを合わせた、この時期のスティングの音だ。しかし、各楽器の音は鮮明できちんと配置されている。

 A面最後はスティングの最大のヒット曲とも言える「Englishman in new york」。軽いタッチのレゲエだからポリス的でもあるのだが、しかし聴いているとやはりポリスではない。楽器や音色によるところが大きいのだろう。間奏で4ビートのジャズ風になり、そのあと大音でバスドラムとスネアのクッションが入るのだが、ここはちょっと違和感があった、当時から。こういうのはこの頃割と流行っていたので、少し大衆に寄せてみたといったところなのだろうか。

 A面のこの3曲は一気に持っていかれる。決してポップで明るい曲たちではないのだが、スティングの世界の中に何気なく引き込まれ抜け出せない、という有無を言わせない3曲なのである。

 

 B1は「History will teach us nothing」はソフト・タッチのレゲエ。本作には洋楽には珍しく、スティング自身のライナー・ノーツが掲載されている。説明や解説といったものとは少々毛色が異なっており、散文的でありながらもそれぞれの曲にどのような背景や心象があったかが書かれている。この曲の文章はこうだ。

「僕は、歴史の先生に、彼が教えている教科から、一体どうやって役に立つことを学ぶことができるのかと聞いたことがある。僕にとっては、何ひとつ人間としてほめるに値するところのない、盗っ人と変わらないようなクズの男爵たちが、しょうこりもなく、くり返し登場してくるだけとしか思えなかったのである」

 これがスティングの歴史観か。歌詞の中には「本になったぼくらの歴史は犯罪のカタログ」という一節がある。

 次に「They dance alone(Gueca solo)」。スローな曲だが、なんとなく陰りのあるサウンド。終わる直前、アップ・テンポでサルサ・タッチの曲調に変化する。先のライナーを読むと、Guecaというのはチリの求婚時の踊りのことで、しかし彼の国では正当な理由もなく投獄、拷問が行われ、パートナーからひとり残された者が悲しみと抗議のために「solo」で踊る。多分に政治的で人権問題に触れたハードな内容なのである。スティングはソロになってその社会性がより強くなってくる。実際様々な活動も行なっており、それは以降も長く続く。

 それはともかく、この曲にはギタリストとしてエリック・クラプトンマーク・ノップラーが参加している。マーク・ノップラーダイアー・ストレイツとしてヒットした「Money for nothing」にスティングが参加したことからのお返しの意味もあったのだろう。7分という長尺ながら、それはまったく感じない。

 B面最後は「Fragile」。私の本作はこの曲に尽きる、と言ってもいいほど大切な曲、いろいろな記憶が詰め込まれた曲なのである。長くなるが書いておきたい。

『…all this time』というスティングのライブ・アルバムがある。発表は2011年10月、ライブ・レコーディングはその年の9月11日に行われている。そう、ニューヨークで同時多発テロが発生した日だ。世界中がその貿易センタービルに突っ込んでいく旅客機の映像をライブで見た。世界史的にもショッキングな日である。

 イタリアのトスカーナのとある家の中庭の会場に午後9時、スティングが現れた。そして話しはじめた。ライナーの言葉を引用する。

「このコンサートはとても楽しいものになるはずでした。しかし今日起こった悲惨な出来事のため、楽しいものではなくなりました。私たちには3つの選択肢があります。一つは予定通りショウをやること、もうひとつはまったく取り止めにすること、そしてバンドと私が3番目に思いついたのはそれらの折衷案です。私たちはこの恐ろしい出来事で命を失った人たちと彼らを愛していた人たちに捧げ、世界中に流されるウェッブ配信に乗せて1曲演奏します。そして演奏はそこで止めます。その後は皆さん次第です。演奏の後、1分間の黙祷をしたいと思います。拍手はしないでください」

 そして演奏されたのが「Fragile」だった。これは予定されていたオープニングの曲ではなかったという。スティングは涙声で歌った。演奏が終わり、黙祷を捧げたあとスティングは言った。

「私たちはどうしたらいいでしょう」

 聴衆は演奏の続行を望んだ。亡くなった人たちのために。テロに打ち勝つために。スティングは演奏を続けた。ただ、当初予定されていたプログラムは大幅に変更され、テロ被害者への哀悼の意味が濃くなった。それをパッケージしたのが『…all this time』なのである。アルバムに添えられた言葉。

 

 This album was recorded on September 11, 2001

 and is respectfully dedicated to all those who lost their lives on the day.

 

 もうひとつ、東日本大震災が起きたとき、世界中のアーティストたちのアクションは速かった。発生からわずか2週間後に配信という形で『SONG FOR JAPAN』というチャリティ・アルバムが発表された。曲を持ち寄ってくれたのはU2Bob DylanLady GagaBeyonce、Bruno Mars、Justin TimberlakeMadonnaBruce SpringsteenBon JoviSadeEnyaElton John、Queens等々、それにJohn Lennonという新旧錚々たる面々なのだが、もちろんスティングも曲を提供。それが「Fragile」だった。確か、何かのテレビで追悼のために「Fragile」を歌っているスティングも見た。

 のちにCD化もされ、収益金は寄付され、復興支援に充てられた。世界中でチャート1位も獲得したというから、相当な支援金になったはずである。アーティストたちの底力だ。

 厚いキーボードの和音にスティング自身が弾くガット・ギターがボサノヴァ・タッチのリズムを刻み、ベースとパーカッションがそれを柔らかく支えているような演奏。スティングのボーカルも囁くよう、話しかけるよう。サビの歌詞だけ紹介したい。

 

 On and on the rain will fall

 Like tears from a star  like tears from a star

 On and on the rain will say

 How fragile we are  how fragile we are

 

 

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スティングの手によるライナー・ノーツも必読



 

終わり3曲で心の深いところへと誘い、自己と向き合う

 

 さてC面だ。最初にシングル・カットされた「We’ll be together」。キリンビールの依頼で「together」の言葉を入れた歌の依頼が来て、書いたという。CMで使用されたバージョンではギターはエリック・クラプトンが弾いていたが、アルバム収録バージョンではブライアン・ローレンに差し代わった。理由はわからない。クラプトンバージョンは1994年発表のベスト・アルバム「Fields of gold」に収録された。アレンジやミックスはほとんど同じ。なのにクラプトンのチュィーンというチョーキングひとつ入るだけで、ブルース色が濃くなるのだから、もうなんも言えねーな。

 ラテン的ファンクといった曲調で、本アルバムでは一番明るいノリの曲となっている。スコーンと抜けるスネアに、リフレインするホーン、小刻みなパーカッションを、粋なタッチのオルガン系キーボードが味付けする。曲後半はゴスペルタッチの女性コーラスと野太いスティングのボーカルの応酬。勢い余って「If you need somebody」とボソッと言う。ただ、スティング自身はあまり好きな曲ではなかったよう。

 次の「Straight to my heart」は4/4、3/4の拍子、実質7拍の変則リズムの曲。笛のような音色、カリンバのような音色、陽気でない南米系のサウンド。不思議な曲である。けれどもスティング色は濃厚。ポリス当時からの独特の音世界が広がる。この曲と次の「Rock steady」は歌詞が長い。ともにちょっとした掌編小説のような内容である。この曲は進歩する未来に対する不安を描いている。それでも君の愛が「ぼくの心にまっすぐに飛び込んでくる」。

 C面最後の「Rock steady」は当時のスティング流ブルースのような曲。サウンドはキーボードとピアノとサクスフォンが中心になっている。そこにメロディの抑揚がないスティングのボーカルが歌詞をたたみかけてくる。神のメッセージを聞いた老人と船に乗り、そこにはあらゆる動物を2匹ずつ乗せる。まるでノアの方舟のような物語。スティング自身のライナーではこの曲に対して次のように書いている。

「船乗りだった僕の大おじが、いつかこんな忠告をしてくれた。『行く先のわからない船には乗るな』」

 

 最後のD面はジャジーでスタンダードっぽい「Sister moon」ではじまる。ウッド・ベース様の音色にサックス、柔らかなシンセに包まれ、ボーカルが伸びる。歌詞の中に「NOTHING LIKE THE SUN」という言葉がある。シェークスピアからの引用とのこと。英国古典に深い造詣があるというスティングの物語世界が、シンプルな曲調の中に展開している。C面の「Straight to my heart」、「Rock steady」とともに、歌詞がわからないと理解半分の面があるのは否めない。サウンドだけでも楽しむことはできる。しかし歌詞の内容を知ることでアーティストの深いところまでを覗ければ、その曲の意味することをもっと体感できるはず。このあたりは洋楽を聴く日本人の圧倒的に不利な要素だろう。スティングはライナーで、

「月の満ち欠けによって、気が変になったりするすべての人に、あらゆる狂人たちに贈る」

 と書いている。

 ラス前に「Little wing」だ。オリジナルはジミ・ヘンドリックス。クラプトンもデレク・アンド・ザ・ドミノスでカバーしているこの曲を、スティングがやるとは、と当時は思っていた。この曲を取り上げた経緯を、スティング自身がライナーに書いている。

「僕は、ロンドンにあるロニー・スコットのクラブで、ある夜、ギル・エバンスに会った。僕が15歳の時から、彼は、僕にとってのヒーローだった。(中略)それから数年後、グリニッジ・ビレッジのスウィート・バジルという小さなクラブで、僕は彼のバンドと一緒に歌った。(中略)その時、僕たちは、3曲やったが、(中略)あとの2曲は、ギルが長年演奏している、ジミ・ヘンドリックスの『Little wing』と『Up from the skies』だった。『ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』は、僕が15歳の頃初めて見たバンドのひとつで、その頃、僕は、ジミヘンのファースト・シングル『Hey Joe』を買ったばかりだった(後略)」

 なるほど、そういうわけ。

 ふわふわとした、つかみどころのないアレンジに、ギターのアクセントが効いている。間奏のギターは逆にしっかりとロック・ギターを鳴らしまくる。しかし紛れもなくスティングのカラー。ジミヘン、クラプトン、スティング、それぞれがそれぞれの音に染めている。ライナーでもギル・エバンスに触れられているが、この曲のセッションはギルをはじめ、ニューヨークのジャズ・ミュージシャンたち。それでも他の曲とはたいして違和感を感じない。アルバム製作におけるスティングの立ち位置がはっきりしていたからなのだと思う。

 本作を締めるのは「The secret marriage」。ベースとピアノだけの2分余りの小曲。決して大団円ではないエンディング。不穏な空気を残したままで、まだ何かを言わなければならないのだけど、というように曲が終わる。歌詞の一部を見てみる。

 

 ぼくらの結婚を祝福する教会は地上のどこにもなく

 ぼくらを認めようとする国家もどこにもない

 ぼくら2人はどの家族の絆からも締め出され

 頼みを聞き入れてくれる仲間もどこにもいない

 

 秘密の婚礼 誓いの言葉は決して口にされない

 秘密の結婚 破綻することはありえない

 

 ナチスから逃れるためにアメリカに亡命したドイツの音楽家が作ったのメロディを応用して作られた曲だという。歌詞自体も彼のことを歌ったよう。

 本作はスティング36歳の作品。徹頭徹尾、音楽的、思想的主張をふんだんに込めたアルバムと言ってもいい。潔し。

 

 

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ミュージシャンというよりも求道者に見えてしまう

 

 



行く先に迷ったときに、「深く思考せよ」とスティングに言われた、ような気が

 

 先にも触れたが、本作が発表されたのが1987年の秋で、私は大学に入ったものの、当初の目的が半ば失われて心身ともに彷徨っていた時期だった。そんなときにこのアルバムを聴き、何度も聴き、歌詞は断片的にしか理解できなかったのだけれども、それでもスティングがこれまで以上に何かを沈痛に訴えかけようとしていることはわかった。

「君はどうしようとしているのか」

 スティングに問いかけられているような気がした。

「何も見えない。ただこの猶予期間をどう使っていけばいいのか、わからない」

 ぼんやりとした不安の中にいる私に対し、

「必要なことは、より深く思考することだ」

 そう言ってくれたのだと思う。このアルバムの楽曲を通して。

 だから本作は私にとって、ひとつの哲学書でもあったわけである。自己の内面に沈んで考える。そこから世の中を仰ぎ見る。少しずつ外部へと視界を広げていく。そんなことを繰り返していた。

 並行して、本を読み漁った。ひたすら読書に明け暮れた。私小説から難解な学術書まで、とにかく読み散らかした。人生で一番本を読んだ時期だ。

 ほぼ籠りきっての読み漁り生活から半年余り、私は日本を見て歩くことにした。低予算長期間をモットーに、各停で多くの町を見たいと思った。それから数年の間、夏と冬の長い休みに入ると、リュックひとつ背負って(当時はまだバッグ・パッカーなんて言わない)列車に揺られて西へ、北へと旅してまわった。

 このときの体験は、のちの人生に確実に影響した。このあたりの話はまたいずれ機会があれば。長くなること必至なので。

 まあ、私個人の歴史のそんな時期に強烈に焼き付いていたアルバム、と理解していただければ。

 そんな背景があるので、このアルバムは私にとって重要なのである。

 思えば80年代は私のいわゆる青春真っ只中なわけで、短期間のうちに多くのものに出会い、吸収し、影響を受けていた。昨日まで白だったものが翌日には黒になったということもある。目から鱗のようなこと。だからほんの少し時期を違えただけで、指向性が変わったことだってある。それでも徐々に吸収されたものが削ぎ落とされていき、粋の部分だけが残っていき、それ以前よりは自己というものが固まっていく。完成はきっとしない、人生の終わりまでは。でもそれは揺るぎないものにはなっていく。

 私はこの時期のスティングに、そんな揺るぎないものを感じていたのかもしれない。

 少々堅くなってしまった。すまぬ。

 当時よりもなお、現代社会が抱えた問題は多く、深い。それらのことを思考せよと未だスティングは言う、私に。そのとき、流れてくるのは当然「Fragile」なのだ。

 スティングのロックもかっこいいのだが、どうしても憂いのあるこの曲に行き当たってしまう。

 

 On and on the rain will say

 How fragile we are  how fragile we are

 

 スティングは私の耳元でそう囁き続けている。30年以上経った今もなお。ことあるごとに。

 

 

 

・・・オール・ディス・タイム