ROCK、POPの名盤アワー

~ALBUMで堪能したい洋盤、邦盤、極めつき音楽遺産~

#010『峠のわが家』矢野顕子(1986)

f:id:yokohama-record:20210802170333j:plain

飾り気がほとんどないジャケット、中身で勝負、ということかな

 

『峠のわが家』矢野顕子

 

sideA

1. The Girl of Integrity

2. David

3. ちいさい秋みつけた

4. 一分間

5. おてちょ。(Drop me a Line)

sideB

1. 海と少年

2. 夏の終り

3. そこのアイロンに告ぐ

4. Home Sweet Home

 

 

[Recording Musician]

Steve Ferrone : Drums

高橋幸宏 : Drums

Steve Gadd : Drums

Anthony Jackson : Bass

Eddie Gomez : Bass

Eddie Martinez : Guitar

大村憲司 : Guitar

松原正樹 : Guitar

吉川忠英 : Acoustic guitar

坂本龍一 : Keyboards

Benny Wallace : Alto sax

Gene Orloff : strings contractor

井上陽水 : Background Vocals

鈴木さえこ: Background Vocals

鈴木慶一 : Background Vocals

武川雅寛 : Background Vocals

矢野顕子 : Piano, Keyboards, Background Vocals

 

 

Produced by 矢野顕子

Co-produced by 坂本龍一

 

 

 

 

いわゆるYMO時代を終え、新たな局面へ踏み出した一枚

 

 矢野顕子を初めて見たのは、YMOがワールド・ツアーを終え、東京に凱旋したライブがTVで放映されたとき。1980年の暮れだったか。そのサポート・メンバーだった矢野を見て、私は「矢野顕子というのは随分イカれた(もとい、イカした)キーボード奏者なのだな」と思ったものだ。すでに雑誌などではその詳細を知っていたし、写真も多数拝見していた。前年のツアーのライブ・アルバムも聴いていたので、ちょっと跳ねた感じの人だとは思っていた。しかしやはり、動画の印象は強烈だった。で、私は取り憑かれてしまっていた。

 東京で生まれ、青森で育った矢野顕子さん。彼女が東京へ戻ってきたのは15歳。青山学院高等部へ通いながらレストランでピアノを演奏するが、そちらが忙しくて中退。父の知り合いである安部譲二の家に移り、彼の経営するジャズクラブで演奏するようになる。そこで彼女のピアノは音楽業界に一気に知れ渡り、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事も舞い込むようになる。

「ザリバ」というグループを組んでシングルを出すが、1枚で解散。満を持した形で1st solo album『JAPANESE GIRL』を発表したのが1976年。A面のバックを務めたのはなんと「Little Feat」だ。だが、レコーディングを終えたロウエル・ジョージはギャラを受け取らなかったという。「矢野の音楽に対して自分たちはそれをきちんとサポートできなかった」と言ったとか。当代きっての米国アーティストが、矢野の才能に兜を脱いだのだった。B面は細野晴臣鈴木茂はっぴいえんど組やムーンライダースなどが参加するという、なんとも贅沢な作品となったのである。

 矢野の名を世間に広めたのは、YMOのワールド・ツアーにサポート・メンバーとして参加したことと、その直後の「春咲小紅」のヒット。1980年前後のこと。YMOのワールド・ツアーの演奏はその後も結構発表されており、その中で演奏された矢野の「在広東少年」も収録されているのだが、曲が終わったあとのオーディエンスの歓声と拍手はYMOを凌ぐほどのもの。そのパフォーマンスと存在感の大きさをうかがい知れる。

 まあつまり、YMOから矢野に入っていったのです、私の場合は。

 YMOのサポートをしつつも、矢野はそのYMOをバックに2枚組の大作であり名作『ごはんができたよ』を発表する。それまでの矢野作品にテクノ・テイストをふんだんに盛り込んだ超がつくほどの傑作アルバムは、矢野の代表作のひとつとなった。同時に当時のテクノ小僧たちにも大いに支持される。

 その路線が先数年のアルバムでも続いていく。80年代前半の『ただいま。』、『愛がなくちゃね。』あたりまでは矢野テクノを進化させていくのだが、1984年の『オーエスオーエス』ではYMOのメンバーは参加しているものの、それまでのテクノとはいくらか毛色が異なってくる。コテコテな曲が少なくなった。

 そして本作『峠のわが家』に至る。

 発売は1986年2月21日。当時はレコードとCDが同時発売された頃か。それ以前はまずレコードが発売され、1~2ヶ月後にCD、という形が多かった。それでもまだCD黎明期。その頃私はまだCDデッキは持っていない。聴いたのはレコードだ。

 高校卒業直前の時期で、全然勉強していなかったから卒業後は浪人決定なのだけど、でも一応2校くらい大学受験して、それが終わったくらいの頃。発売後わりと早く聴いたと思う。で、すぐにのめり込んで何度も聴いた。私にはとても新鮮なサウンドに聴こえた。

 ジャジーな曲もあれば、リズムで圧倒される曲もあり、また安定の矢野ポップもありの充実の1枚だ。カバーの選曲も良く、出来も抜群。そこまでの数年、矢野とYMOは表裏一体のような山を形作っていた印象だったのが、本作で矢野は独立峰となったと感じた。坂本龍一が全面的に参加しているが、おまかせにはしていない。あくまでも矢野のやりたいことをサポートしている。そのあたりが私には新しく感じられたのだろう。

 ちなみに本作は、矢野も設立に関わったレコード会社「MIDI」の第1弾アルバムである。

 

f:id:yokohama-record:20210802170525j:plain

折り込み型の歌詞カードは最近少なくなった

 

 

今でも衝撃が走る「ちいさい秋みつけた」の矢野的アプローチ

 

 アルバムはスティーブ・フェローンのドラムからはじまる。「The Girl of Integrity」はほとんど2コードのセッションのような曲なのだが、太鼓の音処理などは80年代半ば風で、ニューウエーヴ的な仕上がりにもなっている。それで「金が欲しいわけじゃない、ここまできたのは」という歌詞だ。当時は今ひとつピンとこなかったが、少しずつ毒が回っていって、何年かあとにはもうそれが抜けなくなった。「Integrity」は誠実とか高潔とか完全性といった意味。「でも自由ほんとに 自由こんなに」のところで陽水のコーラスが入る。ドラムのスティーブ、ギターのエディ・マルチネス以外のインストルメンツは坂本。クルンクルン鳴ってるピアノが印象的なのだが、クレジットに矢野の名前はない。作詞・作曲は矢野。

 本作で一番有名な曲は次の「David」だろう。のちにフジテレビの深夜番組「やっぱり猫が好き」のテーマ曲として流れるようになり、本作発売後4年以上経ってシングル・カットされた。この曲はそれまでの矢野テクノ路線に近い親しみやすいポップ・ソング。イントロのキーボードのフレーズで持っていかれる。さてこのDavidさんはデヴィッド・ボウイなのか、デヴィッド・シルビアンなのか。あるいはまた別の…。それはわからない。本作発表当初はテレビ番組のオープニングに使われてヒットするとは考えもしていなかったが、好きなアレンジだったので、やはり世の中に受け入れられる要素を持った曲だったのだろう。ドラムは高橋幸宏、ギターは大村憲司、キーボードが矢野と坂本。コーラスに鈴木慶一、鈴木さえこ、武川雅寛と矢野。作詞・作曲は矢野。

 そして本作の最初の山場となるのが「ちいさい秋みつけた」。サトウハチロー作詞、中田喜直作曲の誰もがご存じだろう童謡も矢野の手にかかると、矢野カラー染め上げられてしまうのは、すでにこれまでのアルバムでも経験済み。スティーブ・フェローンのドラム、アンソニー・ジャクソンのベース、そして矢野のピアノのトリオが基本。アンソニー・ジャクソンとのセッションはこの曲が初めてで、以降長きに渡っての付き合い。やはり1996年から年末恒例となった「さとがえるコンサート」での名演が焼き付いている。そこでもピアノ・トリオが基本で、この曲も何度か演奏された。だからあらためてこのアルバム・ヴァージョンを聴くと、坂本のキーボードが意外とたくさん入っていることに気づかされる。間奏や後奏は、Sly and the family stone の「If you want me to stay」へのオマージュか。まあ、このコード進行は珍しくはないけど。しかし、高校を卒業した頃の私には大いに刺激的な一曲となったのだった。スリリングな演奏だと思った。音数は多くないのに。そんな中で「ちいさい秋 ちいさい秋 誰かさん誰かさん誰かさん ダダダァー ウォーホー」とスキャットでたたみかけるのだから、こっちの腰も動いてくる。いや何度もリピートして聴いた。ライブで見たときも大興奮だった。

 次の「一分間」も基本はピアノ・トリオ。でも前曲のセッションとは異なり、ドラムはスティーブ・ガッド、ウッド・ベースはエディ・ゴメス、途中でベニー・ウォラスのアルト・サックスが入る。この曲には坂本は参加していないので、よりジャジーな雰囲気が濃厚に漂う三拍子の小曲。現代詩人の藤富保男の詩に矢野が曲をつけた。

 

 非常に静かな

 一分間

 葡萄酒の上には

 雲が浮かんでいた

 ぼくには

 月

 犬は腕組みをしている

 

 今聴くと実にしみてきて、その上楽しくなってくる。のだが、当時の私にはわからなかったのだな。この詩も、そしてサウンドも。でも「犬は腕組みをしてる」のところではその絵がいつも頭の中に浮かんできて、クスッと笑ってたか。

 ニューヨークのスタジオ、パワーステーションもクレジットされているのだが、このスティーブ・ガッドのセッションがそれにあたるのだろうか。

 A面ラストは「おてちょ。(Drop me a Line)」。おてちょが「おてがみちょうだい」の略だったことを、今回初めて知った。ドン・ドンドンという祭りの太鼓のようなビートに吉川忠英のアコギのコードが乗り、エディ・マルチネスのギターがうねる。キーボードは坂本のみ。作詞には矢野とピーター・バラカンの名が。歌詞は英語だ。ニューウェーヴともなんとも言い難いような曲なのだが、紛れもなく矢野テイストふんだんの曲ではある。

 

 

 

息つく暇ないB面を聴き終わると、なんという多幸感、そしてちょっとだけせつない

 

 B面最初は「海と少年」。大貫妙子の曲で、彼女の1978年発表のアルバム『ミニヨン』に収録されている。余談だがこのアルバムのプロデューサーはなんと音楽評論家の小倉エージだ。驚いた。大貫の原曲は大きく括ればいわゆるシティ・ポップ系のサウンド。なのだけど、細野晴臣のベースがあまりにも細野的で、そちらの色のほうが濃く感じる。編曲は坂本だ。

 矢野カバーのほうは、原曲アレンジからそれほど遠くはない。けれどもリズムのアタックが強い。ドラムはスティーブ・フェローン、ギターはエディ・マルチネス、その他は坂本だから「The Girl of Integrity」のセッション。だが、ギターにもう一人、松原正樹がクレジットされている。リズム・ギターだ。彼のギターのカッティングがこの曲の肝だと聴くたびに感じる。どの時代でも、どのセッションでもいいギターを弾く。編曲は矢野と坂本。

 次の「夏の終り」から最後までの3曲はいつも一気に聴き入ってしまう。まともに向き合って聴くから、終わったあとは多少の疲労感がある。しかしそれ以上の多幸感に包まれ、ちょっとだけせつなくて眼が潤む。フーッと息を吐く。

「夏の終り」は作詞・作曲は小田和正オフコースが5人になって1978年に発表されたアルバム『FAIRWAY』に収録されている曲。当時、オフコースは聴いていた。けれども矢野との接点が見出せず、「なぜこの曲?」というはてなマークがしばらくチラついていた。矢野はかなりの小田ファンだったというのはあとで知ることとなる。その後も原曲を留めない「YES-YES-YES」を発表したり、小田と一緒に The Boom の「中央線」を歌ったりと、小田がらみのトピックは多い。「さとがえるコンサート」にサプライズで小田が出てきたこともあった。

 それはさておき、この曲にはストリングスが全編に取り入れられており、それが荘厳かというと、そうでもない。なんとなく曇り空のグレート・ブリテンみたいな印象。そう思えば「嵐が丘」のような感じもするし、アレンジやボーカル・スタイルがケイト・ブッシュに近いような気もしてくる。原曲がせつなくもほんわかしたアレンジなので、曲調はまったく違っている。後半はかなり劇的だ。ドラムはスティーブ・ガッド、ベースはアンソニー・ジャクソン、キーボードには坂本のみ。で、ストリングス・アレンジは坂本なのだが、「strings contractor」としてジーン・オルロフという人がクレジットされている。ストリングス関係の奏者の名はない。「contractor」を調べると「委託業者」や「契約者」とある。つまりこの人に丸投げして納品してもらったということなのか。他に「The Girl of Integrity」と次の「そこのアイロンに告ぐ」にも名がある。

 その「そこのアイロンに告ぐ」。That’s the Yano world なスリリングなセッションだ。まごうことなくジャズ。前曲と同じリズム隊に松原正樹のギター、ベニー・ウォラスのアルト・サックス、坂本のキーボード。それで矢野のピアノと当然思うのだが、なんとそれはクレジットされていない。えっ。弾いてないの。この曲はのちに上原ひろみとのピアノ・セッションが有名だし、矢野のピアノ・ジャズの代表曲なのに? 今一度聴いてみる。ホントだ。メインはエレピで、生ピは入ってない。これも坂本が弾いているのか。ここを任せてしまうなんて、二人が一番蜜月の時代だったのだろう。

 ジャジーなのは間奏、サックス・トリオのスリリングなセッション。2度目の間奏にはこれに松原正樹の軽妙なカッティング・ギターとエレピのカッティングが加わる。とは言ってもやはりこの曲は狂気にも似た矢野のボーカル。息つかせぬ矢継ぎ早の言葉に縦横に動き回る声。聴いているほうも息継ぎの場所を探しながら拍子をとる。だから疲れるのである。本気で相対さないと打ち負かされる曲なのだ。

 エンディングは「Home Sweet Home」。ユキヒロのバス・ドラムのドッ・ドドッに吉川忠英の綺麗なアコギのアルペジオ。笛のような音色のシンセ。それだけでなんだかせつない。歌詞を全部読みたい。

 

 大きい家 小さなアパート

 人が寝るところ どこも少し寂しいね

 小さい窓からにじむにおい

 もうすぐ集まる家族のごちそうの音

 あれが Home Sweet Home

 いつも夢見る

 今はひとり

 一緒にいた時は知らない気持ち

 Home Sweet Home

 遠くはなれてても あなたを忘れない

 愛をおしえてくれた あなたが大好きよ

 誰もわかってくれないの

 ここにいられない やっとひとりになれるね

 壊した家を出たくせに

 今 私達は 新しい家を作る

 ここが Home Sweet Home

 愛する人たち

 されど Home Sweet Home

 たとえ ひとりきりになったとしても

 Home Sweet Home

 遠くはなれてても あなたを忘れない

 愛をおしえてくれた あなたが大好きよ

 

 初めて聴いたときも今も、グッときて涙出そうになるのは「壊した家を出たくせに 今 私達は 新しい家を作る」のくだりだ。矢野も情感込めて歌い上げる。実に人の心情をよく表している詩だと思う。もしかすると人類の歴史なんてこの繰り返しかも知れない。作詞・作曲共に矢野。エレキ・ギターは大村憲司、キーボードは坂本、ピアノは矢野。

 サビ前からユキヒロのドラムの手数が増し、それまでの情緒とは打って変わってタイトなビートの佳境を迎える。『ごはんができたよ』から続く矢野のポップ・テクノの行き着く先はこの曲。はじめに比すれば若干テクノ色は薄れてきているものの、この路線の集大成のような曲なのである。翌年発表された『GRANOLA』が相当にアコースティック色が強い作品であることから考えても、この『峠のわが家』は矢野の80’s前半の集大成といってもいい。だからこそ、時代を超えてなお新鮮に、長く聴き続けることができるアルバムとなったのではないか。

 

f:id:yokohama-record:20210802170623j:plain

MIDIの文字が懐かしい。ある種のブランドでした。



 

充実の90年代を経て、今なお驚きのアルバムを発表してくる過激な姿勢

 

 本作で私の「矢野愛」は揺るぎないものとなった。その後、私的には「充実期」とさえ呼びたい90年代に入る。

 1990年にニューヨークに移住し、1991年の『Love Life』から『Love is Here』、『Elephant Hotel』。さらにピアノ弾き語りの『Super Folk Song』、『Piano Nightly』と矢野スタイルを確立し、彼女の作る音楽がもはやひとつのジャンルとして存在するが如く、無比の存在となった。

 とりわけ、『Love is Here』発表後のコンサートにひとつの極みを見せる。

 ピアノ2台にアコースティック・ギター、パーカッションという変則編成で、ボサノヴァ・タッチの穏やかで落ち着いた雰囲気のコンサート、と思われたのだが、ピンと糸が張り詰めたような、静かな緊張感に目が離せなくなる。そして終盤、ユニコーンのカバー「すばらしい日々」でそれは頂点に達する。前半は比較的しっとりと進んでいく。原曲とはまったく違うアレンジと息づかい。サビで3/4に拍が変わる。最後のサビからは矢野の嗚咽にも似たボーカルとスケールが高まっていくピアノで、こちらも息を飲みつつ目を反らせない。これこそが「鬼気迫る」演奏と言うのだろう。奥田民生があえて淡々と無感情に歌っているのとは、まったく対照的な名演である。奥田のも名演だが、ここまで換骨奪胎して自分のものにしてしまうとは、もう神の領域か。

 今でもこの曲を聴くのには勇気がいる。上記の通り、聴き流すことなんてできないし、聴きはじめたら最後まで本気で対峙しなければならないから、全身で受け止めなければならないから。

 1996年から毎年年末恒例の「さとがえるコンサート」がはじまる。私は第1回から10年間通った。カエルのキー・チェーンも10個ある。基本的にはピアノ・トリオなのだが、その編成や内容は年ごとに柔軟に変わっている。トリオにギターが加わった年もあれば、くるりがバックを務めた年もあった。くるりの年はなんと最前列の席が当たって、しかし当日は体調悪く唸りながらステージを見上げていた。目の前だから途中退席もはばかられ、なお呻吟した覚えがあるが、それも今となっては懐かしき思い出。

 ちなみに昨年もきちんと行われている。林立夫小原礼佐橋佳幸という強者たちをバックに。

 ここ数年はTwitterでの発信を積極的に行なっている。東日本大震災後の東北との関係のことや、和食の食材事情や、水泳をはじめたことや、そしてコロナ禍のニューヨークの様子など、市民目線の発信はリアルで楽しい。

 近年はアルバム発表の間隔が長くなってきているが、「本気のテクノを見せてあげる」とうたった2015年のアルバム『Welcome to Jupiter』はなかなかの迫力だった。そしてすごく遠いところへ行ったなと思える曲もあった。さすがだ。

 2005年まではかなり濃厚に聴いてきた。それ以降は家族ができたこともあり、ライブには行けなくなったが、ニュー・アルバムが出れば聴く。「あー、今の矢野はこんなこと考えてるんだ」などと思いつつ、もはや古い友だち感覚で矢野の音に接しられる。長く聴き続けるとは、こういうことなのかと。

 まだきっと終わらない。あと何度驚かされることかと楽しみにしている。ひとつ気になっていることは、生涯をニューヨークで終えるつもりなのか、ということ。多分、そうなんだろう。

 

峠のわが家

峠のわが家

Amazon