ROCK、POPの名盤アワー

~ALBUMで堪能したい洋盤、邦盤、極めつき音楽遺産~

#008『Collection』Another PSY•S[saiz](1987)

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図鑑のようなジャケットは今でも大好きだ。これはのちに廉価で再発されたCD。

 

『コレクション』アナザー・サイズ

 

sideA

1. Wake Up

2. ドリーム・スープ

3. 本当の嘘

4. ビー玉坂

5. Woman・S

sideB

6. サイレント・ソング

7. 絵に描いたより Pictureness

8. 風の中で

9. 私は流行、あなたは世間

 

[PSY•S]

松浦雅也 : キーボード、ピアノ

安則まみ(チャカ) : ボーカル、コーラス

 

[Another PSY•S]

鈴木賢司 : ギター

高橋佐代子(from ZELDA): ボーカル

島崎夏美(from Chirorin): ボーカル

安部隆雄 : ギター

ゴン・チチ : ギター、ボーカル

村松健 : ピアノ

杉林恭雄(from Qujila): コーラス

いまみちともたか(from Barbee Boys): ギター

沖山優司(ex Juicy Fruits): ベース

楠均(from Qujila): ドラムス

久保田洋司(from The Ton Nan Sha Pei): ボーカル

清水伸吾(from The Ton Nan Sha Pei): コーラス

楠瀬誠志郎 : ボーカル、コーラス

 

 

Produced by Another PSY•S

 

 

 

今思えば垂涎のメンバーが顔を揃えていた、NHK-FMの「サウンド・ストリート」

 

 1970年代の終わりからおよそ10年間、NHK-FMの平日ほぼ22時台(時期によって開始時間が少しだけ変わっている)に「サウンド・ストリート」という番組があった。曜日ごとに違うDJが番組を担当し、その人選も実に個性的、同時代的で、今思えば奇跡のようなメニューであった。私は1982年くらいから聴きはじめたと思う。

 1983年の各曜日のDJを挙げると、月曜日が佐野元春。「元春 RADIO SHOW」のジングルが今でも頭の中で鮮明に響く。活動休止してニューヨークへと旅立ったあとも、現地で録音するというスタイルで番組を続けていた。いわば、傑作『VISITORS』制作への過程を番組は克明に伝えていたということだ。全部聞き返したい。

 火曜日は坂本龍一。YM0後期から散会後ソロ作を多く発表していた時期に当たる。番組恒例の「デモテープ特集」ではリスナーの宅録を募集して、教授も唸りつつ聴く場面があったりした。槇原敬之やテイ•トウワなども投稿、デビューの足がかりとなったようだ。

 水曜日は甲斐よしひろ。ちょうど甲斐バンド解散の時期に重なっており、複雑な心境を本人の口から聞ける貴重な機会であった。ニューヨークの話が多かった気がする。ボブ・クリアマウンテンとか。パワー・ステーションとか。

 木曜日は山下達郎。こんなに早口な人なんだ、とこの番組で初めて知った。現在も放送しているTOKYO-FMの「サンデー・ソング・ブック」と似たような(というかほぼ一緒)内容で、オールディーズ中心の選曲。かなり勉強させていただいた。

 金曜は音楽誌「ロッキン・オン」の渋谷陽一。編集者のわりに歯に衣着せぬ物言いだったのを覚えている。

 錚々たるメンバーである。40年近く経った今も、みなさんまだ現役の第一線。高校生だった自分に「もっと真剣に聞いておけ」と言ってやりたい。今なら一言一句漏らさないくらいの気持ちで聞くだろう。

 共通するのが、みんな媚を売らないこと。万人受けするようなことは言わないし、する気もない。自分の興味を番組でも追求する。と言ってリスナー不在ではない。同好の士に対して話しているような感じだ。それもまた良かった。むしろ世界がどんどん広がっていった。同世代の方なら、もう一度聞きたいという思いは一緒だろう。

 そして1986年、火曜日の坂本龍一の後釜として登場したのが、PSY・Sの松浦雅也だった。これまた今でいうニッチな人選。

 PSY・Sはキーボードの松浦雅也とボーカルのチャカこと安則まみのポップ・ユニット。二人とも大阪の産。

 1980年代半ばくらいまでは坂本龍一が確立したシンセサイザーサウンドを核としたバンドやユニットが一気に出てきた。新しいジャンルであり、方法論であった。世界の冨田勲が分け入った道に坂本が花を咲かせていき、そこになった実をかじって育ったアーティストが増えはじめてきていた。

 そのひとつがPSY・Sだったと言える。従来の形式をかなり消化した上でのポップ・ユニットであった。

 デビューは1985年。かなり早い時期に私は何かで聴いた。おそらくラジオ。それは「新しいポップ」だった。それからほどなくして発表された「Woman・S」で確信したのだった。これは猛毒だと。

 松浦雅也の革新的なアレンジと音色。それでいて尖ってるばっかりでもなく、染み渡るポピュラー・ソングとして心地よい。チャカのボーカルは並じゃない。一気にご贔屓となったのだった。

 その頃の私は浪人生。一応予備校には通っていたが、試験の2~3ヶ月くらい前になると、ほとんど部屋にこもって相当に勉強していた。人生で一番勉強した数ヶ月。一日が24時間ではなく、眠くなるまでひたすらやって、意識を失うようにバッタリと寝込む。ある程度の睡眠をとったらまたひたすらガリガリ。寝て起きての周期が24時間ではなかった。30何時間というサイクル。

 そんな中で唯一の精神解放はやはり音楽を聴くことだった。月に数度レンタル・レコード店へ行って、気になるアルバムを数枚借りてくる。部屋に戻って、ターン・テーブルにレコードを静かにセットし、針を置く。まだ知らぬ音世界が部屋中に鳴り、響く。たったこれだけのことが、極限近い精神の混濁を回避させてくれたのだ。

 で先の「サウンド・ストリート」を聞くことも同様の効果をもたらした。ひととき、別世界へと遊ばせてくれた。

 その「サウンド・ストリート」の火曜日、松浦雅也は番組内でとある企画を立ち上げた。毎月ゲストとともにマンスリー・ソングを作ろうという。聞くほうは大いに楽しみなのだが、関係者にとっては相当に面倒な企画である。若き才能のあり余る情熱と創造欲がなせる技。

 製作されない月もあったが、それでもほぼ1年間、毎月楽曲を完成させて番組でon airした。聴くほうも何が出てくるかと結構ドキドキしながらラジオを前にしていた。

 それらのマンスリー・ソングと、番組用にアレンジし直されたりしたPSY・Sの既発表曲をまとめたのがこの『Collection』である。以上のような経緯で作られたから、「Another PSY•S」なのだろう。

 アルバムとしてまとめられて発表されたのが1987年2月26日。多分この日はどこかの大学の入試を受けていたはず。3月になって、何とか爪の先数ミリで引っかかった大学に通うことが決まってから、ゆっくりと聴いたのだろう。この時代の個人的な空気がいっぱい詰まったアルバムである。だからPSY・Sのオリジナル・アルバムを紹介するよりも前に、このアルバムを持ってきた。何とも不安定な1年の私の内っ側が垣間見られる。

 ここまで取り上げてきた7枚の名盤は、いずれの盤も衆人が頷く歴史的1枚だった。だが今回は初めて「極私的」名盤を取り上げてみる。いや、そんな言い訳なしでも、傑作なのです。

 

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参加アーティストの写真が小さすぎて、老眼の目にはチト厳しい。

 

 

「ビー玉坂」は私にとっては唱歌「ふるさと」に勝るとも劣らず

 

 松浦雅也サウンド・ストリートのオープニングが1曲目の「Wake Up」。ショート・バージョンとクレジットされているが、確かに短いが、ほぼオリジナル・バージョンといってもいい。PSY・Sのセカンド・シングルのB面に収められた曲で、これは12インチ・シングルだった。LPサイズの30cmのシングル。懐かしいな。

 松浦氏はフェアライトを駆使して初期のPSY・Sサウンドを構築しているのだが、この曲はその代表のような曲ではないだろうか。冒頭サンプリングのボーカル、アタックの強いピアノ・コード。だがよく聴けば、アレンジはそこまでは凝っていない。ビートに引っ張られながら、わりと朴訥なチャカのボーカルが乗っかっている。

 間奏のギター・ソロは鈴木賢司。少し前からバカテク高校生として一部で注目されていたが、その後すぐ名前を聞かなくなった。と思ったらシンプリー・レッドのメンバーとなっていた。恐ろし。私は高校生時代のミニ・アルバムを持っている。その後のPSY・Sのアルバムにも彼は結構参加している。

 作詞はチャカ、作曲は松浦氏。

 2曲目は1986年9月のマンスリー・ソング、「ドリーム・スープ」。イントロはピアノのアタック音を切って和音を立ち上げてくる、ギターで言うところのバイオリン奏法のような音が印象的。そこにパワー・ステーション的ドラムがデリカシーなく入ってくる。このあたりの音作りは80代中期的。好きだ。さらにベースとアコギのカッティング。わりと音数は少ない。ボーカルはZELDAの高橋佐代子。うわ、絵面まで一瞬にして蘇る。コーラスにChirorinの島崎夏美とチャカ。ギターは安部隆雄。この人は知らず、今回調べてみると、ベーシストでアレンジャー、プロデューサー。一時子供ばんどBarbee Boysにも在籍していたという。作詞は高橋佐代子、作曲はムーンライダース岡田徹と松浦氏。編曲が岡田、安部、松浦の三氏で「AMOR」とクレジットされている。なるほど、確かにムーンライダース的冒険サウンド

 このアルバムの中では一番当時の匂いがきつい曲だと思う。それだけにあっという間にフィードバックさせてくれる。二十歳の頃に。

 3曲目は1986年6月のマンスリー・ソング、「本当の嘘」。ゴンチチと松浦のタッグだ。雰囲気としてはもろにゴンチチ。軽いラテン・タッチ。バックでのフワフワしたキーボードが松浦的。作詞がチチ松村、作曲がゴンザレス三上、編曲が松浦氏。アコギの音が実にクリアでいい。もちろんゴンチチの二人。声も含めてのゴンチチ・ワールドに、チャカのコーラスは若干違和感ありか。独特の世界観を持っているアーティストに食い込むのは、なかなか難しいのだろう。ゴンチチは、ゴンチチなのだ。

 そして4曲目の「ビー玉坂」が、本アルバムにおける私のもっとも思い入れの強い曲である。かれこれ35年、よく聴いてる。事あるごとにずっと聴いてる。1986年11月のマンスリー・ソング。ピアニストの村松健と松浦氏の連弾、ツイン・ピアノの叙情的な曲だ。作曲は松浦氏、編曲は二人の名がクレジットされている。二人で即興で弾きながらまとめていったのだろう。

 なんと言うか、幼いながらも切ない気持ちを感じた子どもの頃を喚起させるようなメロディなのだ、私にとって。童謡に近い。「ふるさと」よりも染みる。昔からの日本的なコード進行は、玉置浩二が作るバラードに雰囲気が近い。こういうのに弱いのだ。

 また、スタジオの空気感までもが封じ込められて録音されている感じがいい。おそらく一発撮りに近いのではないか。

 この頃は松浦氏はテクノに近い人、シンセの人と思っていたので、この曲には驚かされた。その多才さに恐れ入った。

 A面最後は「Woman・S」のボサノヴァ・バージョン。この曲のオリジナル・ヴァージョンを初めて聴いたときは、カッと目が見開いた。なんというアレンジ、なんという構成、一気に引き込まれた。ポップスのある種の極みとまで思った。それがボサノヴァ・タッチに優しいアレンジとなっている。これもまたいい。

 作詞はパール兄弟の佐伯健三、作曲は松浦氏。クレジットにはボーカルにチャカと、コーラスにQujiraの杉林恭雄とだけあるので、松浦氏がオリジナルに手を入れて別ヴァージョンにまとめたのか。

 で、このボサノヴァ・バージョンはマンスリー・ソングではない。それではサウンド・ストリート内で使用されていたかというと、これが覚えていないのです。でも、このアルバムに収録されているということは、なんらかの形で番組に絡んでいたのだと思う。

 

 

終わり2曲で清冽な気持ちにさせられ、深く余韻の中に沈んで放心した

 

 B面は「サイレント・ソング」からはじまる。本アルバムからの唯一のシングル・カット曲。確かに一番当たりがいい曲である。ライヴでも盛り上がること請け合い。1986年10月のマンスリー・ソング。

 ギターはいまみちともたか。当時は彼のギターはあまりピンとこなかった。うまいとも思わなかった。今聞くと、なるほどちょっとU2のジ・エッジの感じに似てる。その後、この手のギターはあまり出てきていない。その意味からすれば、個性的で貴重なギタリストである。

 いわゆる、バンド・サウンドである。松浦氏の「作り込み」が一番薄い曲だ。ドラム、ベース、ギターが屋台骨となって、チャカの声を支えている。

 ドラムはQujiraの楠均。当時はあまり馴染みがなかったが、21世紀になってキリンジのサポート・メンバーとなり、その後Kirinjiと体制が変わったあとは正式メンバーとなった。メイン・ボーカルを取る曲もあった。憎めないキャラの持ち主である。

 ベースは沖山優司。「Juicy Fruits」の元メンバーで、PSY・Sのライヴでも欠かせない存在だった。メガネの優等生的みてくれだが、ベーシストとして侮れず。

 作詞はチャカ、作曲はいまみちともたか、編曲は松浦氏。

 B2は「絵に描いたより Pictureness」。作詞・作曲・ボーカルが、The 東南西北の久保田洋司。コーラスに同バンドの清水伸吾とチャカ。インストルメンタルはすべて松浦氏。The 東南西北は確か広島出身で事務所はアミューズだった。1stアルバムだけ聞いたことがあるが、リバプールサウンドの毒気のないバンドだった。デビューがほとんど高卒直後くらいだったように覚えている。青さも売りだった。

 速いが抑揚のないロックンロール。自身のバンドでよりは怪しげな雰囲気を持たせて歌っている。この曲は印象が薄い。当時の自分の好みの音ではなかった。1986年7月のマンスリー・ソング。

 B3は「風の中で」。ボーカルと多重録音のコーラスは楠瀬誠志郎。綺麗な声だ。作詞はチャカ。作曲・編曲とインストルメンタルは松浦氏。1987年1月のマンスリー・ソング。

 この曲は猛烈に好きだった。3/4の拍子に和声の心地よさ、イントロはなく楠瀬の独唱からはじまり、ピアノの音が重なってくる。今回改めて聞いたら、ピアノのバックはちょっとJAPANの「Nightporter」風な部分もある。JAPANのほうはちょっとおどろおどろしい曲調だが、こちらは実に清々しく、目の前が開けていくよう。

 

 ふりむけば いつでも きみの面影が ただ

 風の中 何にも 言わずに 輝いている

 

 この部分のバックのコーラスの「フーフッ」の浮遊感が今も時折頭の中で鳴る。コーラスは女声に聞こえるが、クレジットは楠瀬の名だけ。でもこの人ならこんな声も出せるか、と理解。

 この曲にも1987年春の空気が封印されている。あのときのなんとも言えない心境にたちどころに戻ってしまう。音楽はすごい。

 アルバムを締めるのは、サウンド・ストリートのエンディング・テーマでもあった「私は流行、あなたは世間」。オリジナルはデビュー・アルバムである『Different View』に収められている。オリジナルのほうが番組の最後に流れていたのだが、本アルバムに収められているのは別バージョン。

 編曲を溝口肇が担っているので、当然演奏にも加わっていると思っていたのだが、今回ライナー・ノーツを見て驚いた。弦楽器は飛鳥ストリングス、ピアノは重美徹で、溝口肇の名はない。編曲のみなのだった。

 しかしこのストリングス・アレンジは美しく気持ち良い。聴いていた時期が春先で、進学が決まり、日々暖かくなっていくという中だったので、この先に伸びていく道はきっと暗いものではない、という気に拍車をかけてくれた、演出してくれたようなそんな曲。

 オリジナルの、機械的なリズムにチャカの声が乗っかるバージョンもかなり好きなのだが。そう、本アルバム収録のはインストなのです。

 でもこの曲はマンスリー・ソングではない。何かしらサウンド・ストリート絡みで作られたバージョンなのだろうか。今にして知る由もなし。

 

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歌詞の上に描かれた線画がまた、とても高尚に感じられる。

 

ご贔屓たちは当時も今も思ってる、「PSY・Sの評価は低すぎる」

 

 松浦雅也サウンド・ストリート、マンスリー・ソングを集めたこの1枚。かなりの傑作だと思っている。番組でこの企画を立ち上げたのはまだデビュー1年ほどの頃。ソニー系のアーチストを中心に、それでも松浦氏こだわりの人選で作られていった曲たちなのだろう。

 残念なのは、1986年12月のマンスリー・ソングであるSIONとの「冬の街は」が収録されていないこと。この曲も無二の出来栄えなのだが、当時はレコード会社との関係で入らなかったらしい。ただのちに、PSY・Sのライブを集めた『TWO SPIRITS』ではライブ・ヴァージョンが収められた。

 基本、打ち込みの松浦氏がコラボでまとめたアルバムだ。当時、シンセを操る人はどちらかと言えば没入型で、他人との接触が苦手というタイプの人が多かった。おそらく、松浦氏もどちらかと言えばそうだったのではないかと思う。

 でも、その後のPSY・Sの仕事を見ていくと、そんなことは全然ないのだ。

 デビュー当初は打ち込みサウンドテクノ系ユニットに分類されるのだろうが、その後はアルバムごとにコンセプトや手法を変えていき、ときにはアコースティックでアルバム1枚を完成させたりもしている。

 また、レコーディングでは松浦氏の打ち込み中心でも、ライブでは「LIVE PSY・S」と称して、すべてバンド・メンバーの生演奏ということを基本としてステージを行ったりもしていた。ちなみにライブでの振り付けは南流石で、本人もほとんどメンバーの一員として踊っていた。

 多くの試みを見せてくれたPSY・Sも、10年でピリオドを打つ。天才・松浦と超絶ボーカル・チャカのユニットは、それほどのセールスには至らなかった。

「Friends or Lovers」や「電気とミント」、「Angel Night~天使のいる場所」といったヒット曲はあったが、世間の評価はその実力にはまったく伴っていない。

 時代がPSY・Sに追いつけなかった、という説もある。

 純粋に音楽的な評価が得られなかった。ビジュアルも含めたセールス・ポイントのプラス・アルファが足りなかった、という声もある。

 レコード会社のソニーに、PSY・Sの売り方がわからなかった、などというまことしやかな風説まで聞こえてくる。

 そんなことはどうでもよろしい。アルバムを通して誠実に聴けば、PSY・Sの唯一無二な音世界が分かるはずなのだ。

 まあ、セールスだけがものさしではない。いやむしろ、セールスというものさしを過信してしまえば、見えてこなくなってしまうもののほうが多いかも。

 今でもPSY・Sのアルバムは入手可能。一度じっくりと聴いてみてほしいものだ。自分の耳に素直に従うことが一番。

 最後にひとつ。PSY・S解散後の松浦氏の仕事として最も知られているのが「パラッパラッパー」だ。いわゆる音ゲーのひとつのスタイルを確立した「作品」としてその名を残している。

 このゲームを企画したのが松浦氏なのである。もちろん音楽も担当しているが、企画し、プロデュースしているわけだから、松浦氏の「作品」といっても何の問題もないのだ。

 PlayStationのソフトとして発売されたのが1996年、つまりPSY・S解散の翌年だ。パラッパやりたくてプレステ買った友人を私は何人か知っている。私もこのゲームにはハマった。

 ゲームの面白さはもちろんのこと、ロドニーの描くキャラクターの愛らしさ、そしてペラペラな彼ら。何もかもが規格外で唸らされたものだ。

 そして何と言っても音楽の完成度の高さ。ミュージシャンである松浦氏だけに、ここは本領発揮。曲だけ聴いていても心踊るのだ。私はこのサントラも購入して、よく聴いていた。

 その後の松浦氏はどちらかというとゲーム業界のほうで活躍するようになる。チャカはジャズ・ボーカリストとして活動を続けている。それを思うと、PSY・Sの10年間は、奇跡のような時間であったのだと改めて思う。残された財産はいつまでも触れることができる。今後もPSY・Sを聴き続けるだろう、私は。