ROCK、POPの名盤アワー

~ALBUMで堪能したい洋盤、邦盤、極めつき音楽遺産~

#011『...NOTHING LIKE THE SUN』Sting(1987)

f:id:yokohama-record:20210831164124j:plain

モノクロのポートレートは、虚飾なしの誓いのようなもの

 


『...ナッシング・ライク・ザ・サン』スティング

 

sideA

1. The lazarus heart(ザ・ラザラス・ハート)

2. Be still my beating heart(ビー・スティル・マイ・ビーティング・ハート)

3. Englishman in new york(イングリッシュマン・イン・ニューヨーク)

sideB

1. History will teach us nothing(歴史はくり返す)

2. They dance alone(Gueca solo)(孤独なダンス)

3. Fragile(フラジャイル)

sideC

1. We’ll be together(ウイル・ビー・トゥゲザー)

2. Straight to my heart(ストレート・トゥ・マイ・ハート)

3. Rock steady(ロック・ステディー)

sideD

1. Sister moon(シスター・ムーン)

2. Little wing(リトル・ウィング)

3. The secret marriage(シークレット・マリッジ)

 

[Recording Musician]

Manu Katche : Drums

Kenny Kirkland : Keyboards

Mino Cinema : Percussion, Vocoder

Branford Marsalis : Saxophone

Andy Newmark : Additional drums

Gil Evans and his orchestra “Little wing”

Hiram Bullock : Guitar “Little wing”

Kenwood Dennard : Drums “Little wing”

Mark Egan : Bass “Little wing”

Andy Summers : Guitar “The lazarus heart”, “Be still my beating heart”

Fareed Haque : Guitar “They dance alone”

Mark Knopfler : Guitar “They dance alone”

Eric Clapton : Guitar “They dance alone”

Ruben Blades : Spanish “They dance alone”

Ken Helman : Piano “The secret marriage”

Dollette McDonald : Backing vocals

Janice Pendarvis : Backing vocals

Vesta Williams : Backing vocals

Rene Gayer : Backing vocals

Sting : Vocals, Basses, Guitar “Fragile”, “History will teach us nothing”

 

All songs written and arranged by Sting. except for “Little wing”

Produced by Neil Dorfsman and Sting

 

 

 

 

1981年、ポリスの武道館コンサートをFMで聴いて、3ピースに目覚める

 

 ポリスというイギリスのバンドがあって、「高校教師」や「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」という変なタイトルの曲を発表しているということは中1のときには知っていた。ラジオでちょこっと聴いてもいた。で、気になっていたのだろう。

 中1の終わり頃、来日したポリスの武道館コンサートをNHK-FMで90分間オンエアされ、それをエア・チェックした。またもFMネタからになってしまったな。4thアルバムの『Ghost in the machine』発表前である。

 そのライブの衝撃たるや、一気に引き込まれていった。スリリングでスピード感があって、リズムが跳ねて、とにかく痺れるくらいにかっこよかった。これを3人で演奏しているのかと、驚いたものだった。私は3ピースのバンドに惹かれることが多いのだが、それも辿っていけばポリスが原点なのだ。しかも、レゲエ・タッチで「イ・ヨーヨーッ」とボブ・マーリー並みに煽ってくる。で、私はボブ・マーリーより先にポリスに遭遇してたわけである。そのせいか、レゲエは洋楽としてすんなり受け入れられたようだ。

 そのポリスのベーシストがスティング。ちなみにギターはアンディー・サマーズ、ドラムスはスチュアート・コープランド

 エア・チェックしたテープはそれこそ擦り切れるほど聴いた。3rdアルバムまでの代表曲をほぼ演奏したそのライブで、ポリスの音やスタイルをしっかりと刷り込んだ私は、同年に発表された4thアルバムの『Ghost in the machine』を聴いてショックを受けた。

「今までのポリスと違う」

 このアルバムはそれまでよりも大胆にシンセを取り入れ、ちょっと難解な感じを受けたのだ。歌詞を読んでいたわけではないが、そんな雰囲気を読み取った。それは当たっていなくもなく、そのメッセージ性の強い内容のアルバムはかなりの評価を得ていたと知った。

 そして1983年に大ヒット作となる5thアルバム『Synchronicity』を発表する。高1の頃だ。私はすでにバイトをはじめていて、中学時代よりはレコードを買えるようになっていた。といっても毎月というわけにはいかない。でもこのアルバムは即座に買った。収録されている「見つめていたい」が爆発的にヒットする前だったと思う。やはりポリスは好きだったのだ。

 ポリスはこの『Synchronicity』で名実ともにビッグ・アーティストとなった。だが、これが最後のオリジナル・アルバムとなってしまった。これはまったく予想もできず、残念というしかない。

 余談だが、高校に入ってすぐにバンドを組んだ私は、ポリスとU2の楽曲をレパートリーとして練習した。ともに好きなバンドだったということに加え、少人数で音数が少ないというのが選曲の理由だったのだが、いやいや若かったね、考えが。双方テクニックに優れたメンバーが揃っているからこそ、少人数であれだけのサウンドを奏でられるのだ。到底16の私たちが満足な演奏を行えるアンサンブルではないのだ。すぐに断念しました。

 そして1985年にスティングはソロ・アルバム『The dream of the blue turtles』を発表。多分にジャズ・テイストが香る大人なアルバムだった。当時、すべてを理解して聴いていたわけではない。だが、好きな曲も少なくなかった。

 その夏、スティングは来日してコンサートを行った。これが今で言う「フェス」だったのである。しかも、他にフォリナー、ディオ、ママズ・ボーイズなど、随分無節操なライン・ナップだった「スーパー・ロック・85」。場所はまだほとんど建物などないお台場の埋立地。かろうじて船の科学館はあったか。レインボー・ブリッジもフジテレビもない頃。バスでピストン輸送された会場は前日来の雨でドロドロ。そこでオールナイトなのである。はじまる前から憂鬱だった。

 本来、ビッグ・ネームになればなるほどコンサートの終盤に登場するものなのだが、スティングは2番目に出てきた。オールナイトだから夕方スタートのライブは日が暮れきったその位置が最良の時間帯なのだ。スティングはギターを持って、ソロ・アルバムの曲を中心にステージを進める。劣悪な環境ながら、やはりそのステージは洗練されて、圧倒された。ポリス時代の「ロクサーヌ」はエレキ・ギターで弾き語りだった。

 日付が変更する頃に出てきたブリティッシュ・ハードロックの雄、ディオのステージも圧巻だった。深夜にきらびやかなライトが夢のようだった。そう、夢見るような時間になっていた。うつらうつらしそうになって…。最後に薄曇りの白茶けて明けきった朝に登場したママズ・ボーイズの頃は、朦朧。寝ている人も多数。トリなのに。懐かしい高3の夏の一夜だ。

 その2年後、1987年10月に発表されたのが2ndアルバム『...NOTHING LIKE THE SUN』である。一浪して大学に入った年の秋だ。大学に入ってバンド活動に精を出す、という目論見は破れ(そこに自分の志向に合う音楽人がいなかった)、ひとりアコギを持ってふらふらと街をさまよっていた頃だった。

 前作を踏襲しつつもそれをより深くなおかつポップに昇華させた、80年代後半を代表する作品だと思う。

 で、確かこのアルバムは2枚組のLPで発売されたと記憶している。いま手元にあるのはCDで、収録時間は56分。これはLP1枚に収めるのは厳しい。「随分変則的なアルバムだなあ」と当時も思ってた。そんなことも思い出した。なので、上記曲の収録リストも書き直した次第。sideDまでなんて、今の人にとっては違和感ありありでしょう。そのsideDは11分もない。贅沢なのです。ってことは、音質も良かったのか? そこは今となってはわからないです。LP、なんとか入手すっか。

 

 

A面3曲はまったく隙なしのスティングの極み、やられた

 

 A1は「The lazarus heart」。サウンドは前作『The dream of the blue turtles』を踏襲している。スティングのソロ初期のサウンドに欠かせない味付けをしているのが、ブランフォード・マルサリスのサックスだ。この曲も然り、イントロからすぐにスティングの色に染めてくれる。煌びやかなアレンジを施されているが、音数は印象よりは少ない。リズムはシャープで跳ねる、キレがある。エンジニアの手腕が発揮されているとみられる。音を細かに散らばせているのはアンディー・サマーズのギターで、彼は次の曲にも参加している。そして本作のベースはほぼスティング自身が演奏している。これも特徴のひとつと言える。歌詞は多分に宗教的だ。サビの部分の訳詞。

 

 来る日も来る日も新たなる奇跡

 死だけがぼくらを引き裂くだろう

 命をあなたに捧げるべく

 ぼくはラザロの心臓の血となろう

 

 次が「Be still my beating heart」。ベースがフェード・インしてくるイントロから少々穏やかでない雰囲気。イギリスのどんよりとした空が喚起される。基本的にはサウンドはループ、キーボードとギターが効果音的に動きをつける。ポップとジャズのテイストを合わせた、この時期のスティングの音だ。しかし、各楽器の音は鮮明できちんと配置されている。

 A面最後はスティングの最大のヒット曲とも言える「Englishman in new york」。軽いタッチのレゲエだからポリス的でもあるのだが、しかし聴いているとやはりポリスではない。楽器や音色によるところが大きいのだろう。間奏で4ビートのジャズ風になり、そのあと大音でバスドラムとスネアのクッションが入るのだが、ここはちょっと違和感があった、当時から。こういうのはこの頃割と流行っていたので、少し大衆に寄せてみたといったところなのだろうか。

 A面のこの3曲は一気に持っていかれる。決してポップで明るい曲たちではないのだが、スティングの世界の中に何気なく引き込まれ抜け出せない、という有無を言わせない3曲なのである。

 

 B1は「History will teach us nothing」はソフト・タッチのレゲエ。本作には洋楽には珍しく、スティング自身のライナー・ノーツが掲載されている。説明や解説といったものとは少々毛色が異なっており、散文的でありながらもそれぞれの曲にどのような背景や心象があったかが書かれている。この曲の文章はこうだ。

「僕は、歴史の先生に、彼が教えている教科から、一体どうやって役に立つことを学ぶことができるのかと聞いたことがある。僕にとっては、何ひとつ人間としてほめるに値するところのない、盗っ人と変わらないようなクズの男爵たちが、しょうこりもなく、くり返し登場してくるだけとしか思えなかったのである」

 これがスティングの歴史観か。歌詞の中には「本になったぼくらの歴史は犯罪のカタログ」という一節がある。

 次に「They dance alone(Gueca solo)」。スローな曲だが、なんとなく陰りのあるサウンド。終わる直前、アップ・テンポでサルサ・タッチの曲調に変化する。先のライナーを読むと、Guecaというのはチリの求婚時の踊りのことで、しかし彼の国では正当な理由もなく投獄、拷問が行われ、パートナーからひとり残された者が悲しみと抗議のために「solo」で踊る。多分に政治的で人権問題に触れたハードな内容なのである。スティングはソロになってその社会性がより強くなってくる。実際様々な活動も行なっており、それは以降も長く続く。

 それはともかく、この曲にはギタリストとしてエリック・クラプトンマーク・ノップラーが参加している。マーク・ノップラーダイアー・ストレイツとしてヒットした「Money for nothing」にスティングが参加したことからのお返しの意味もあったのだろう。7分という長尺ながら、それはまったく感じない。

 B面最後は「Fragile」。私の本作はこの曲に尽きる、と言ってもいいほど大切な曲、いろいろな記憶が詰め込まれた曲なのである。長くなるが書いておきたい。

『…all this time』というスティングのライブ・アルバムがある。発表は2011年10月、ライブ・レコーディングはその年の9月11日に行われている。そう、ニューヨークで同時多発テロが発生した日だ。世界中がその貿易センタービルに突っ込んでいく旅客機の映像をライブで見た。世界史的にもショッキングな日である。

 イタリアのトスカーナのとある家の中庭の会場に午後9時、スティングが現れた。そして話しはじめた。ライナーの言葉を引用する。

「このコンサートはとても楽しいものになるはずでした。しかし今日起こった悲惨な出来事のため、楽しいものではなくなりました。私たちには3つの選択肢があります。一つは予定通りショウをやること、もうひとつはまったく取り止めにすること、そしてバンドと私が3番目に思いついたのはそれらの折衷案です。私たちはこの恐ろしい出来事で命を失った人たちと彼らを愛していた人たちに捧げ、世界中に流されるウェッブ配信に乗せて1曲演奏します。そして演奏はそこで止めます。その後は皆さん次第です。演奏の後、1分間の黙祷をしたいと思います。拍手はしないでください」

 そして演奏されたのが「Fragile」だった。これは予定されていたオープニングの曲ではなかったという。スティングは涙声で歌った。演奏が終わり、黙祷を捧げたあとスティングは言った。

「私たちはどうしたらいいでしょう」

 聴衆は演奏の続行を望んだ。亡くなった人たちのために。テロに打ち勝つために。スティングは演奏を続けた。ただ、当初予定されていたプログラムは大幅に変更され、テロ被害者への哀悼の意味が濃くなった。それをパッケージしたのが『…all this time』なのである。アルバムに添えられた言葉。

 

 This album was recorded on September 11, 2001

 and is respectfully dedicated to all those who lost their lives on the day.

 

 もうひとつ、東日本大震災が起きたとき、世界中のアーティストたちのアクションは速かった。発生からわずか2週間後に配信という形で『SONG FOR JAPAN』というチャリティ・アルバムが発表された。曲を持ち寄ってくれたのはU2Bob DylanLady GagaBeyonce、Bruno Mars、Justin TimberlakeMadonnaBruce SpringsteenBon JoviSadeEnyaElton John、Queens等々、それにJohn Lennonという新旧錚々たる面々なのだが、もちろんスティングも曲を提供。それが「Fragile」だった。確か、何かのテレビで追悼のために「Fragile」を歌っているスティングも見た。

 のちにCD化もされ、収益金は寄付され、復興支援に充てられた。世界中でチャート1位も獲得したというから、相当な支援金になったはずである。アーティストたちの底力だ。

 厚いキーボードの和音にスティング自身が弾くガット・ギターがボサノヴァ・タッチのリズムを刻み、ベースとパーカッションがそれを柔らかく支えているような演奏。スティングのボーカルも囁くよう、話しかけるよう。サビの歌詞だけ紹介したい。

 

 On and on the rain will fall

 Like tears from a star  like tears from a star

 On and on the rain will say

 How fragile we are  how fragile we are

 

 

f:id:yokohama-record:20210831164306j:plain

スティングの手によるライナー・ノーツも必読



 

終わり3曲で心の深いところへと誘い、自己と向き合う

 

 さてC面だ。最初にシングル・カットされた「We’ll be together」。キリンビールの依頼で「together」の言葉を入れた歌の依頼が来て、書いたという。CMで使用されたバージョンではギターはエリック・クラプトンが弾いていたが、アルバム収録バージョンではブライアン・ローレンに差し代わった。理由はわからない。クラプトンバージョンは1994年発表のベスト・アルバム「Fields of gold」に収録された。アレンジやミックスはほとんど同じ。なのにクラプトンのチュィーンというチョーキングひとつ入るだけで、ブルース色が濃くなるのだから、もうなんも言えねーな。

 ラテン的ファンクといった曲調で、本アルバムでは一番明るいノリの曲となっている。スコーンと抜けるスネアに、リフレインするホーン、小刻みなパーカッションを、粋なタッチのオルガン系キーボードが味付けする。曲後半はゴスペルタッチの女性コーラスと野太いスティングのボーカルの応酬。勢い余って「If you need somebody」とボソッと言う。ただ、スティング自身はあまり好きな曲ではなかったよう。

 次の「Straight to my heart」は4/4、3/4の拍子、実質7拍の変則リズムの曲。笛のような音色、カリンバのような音色、陽気でない南米系のサウンド。不思議な曲である。けれどもスティング色は濃厚。ポリス当時からの独特の音世界が広がる。この曲と次の「Rock steady」は歌詞が長い。ともにちょっとした掌編小説のような内容である。この曲は進歩する未来に対する不安を描いている。それでも君の愛が「ぼくの心にまっすぐに飛び込んでくる」。

 C面最後の「Rock steady」は当時のスティング流ブルースのような曲。サウンドはキーボードとピアノとサクスフォンが中心になっている。そこにメロディの抑揚がないスティングのボーカルが歌詞をたたみかけてくる。神のメッセージを聞いた老人と船に乗り、そこにはあらゆる動物を2匹ずつ乗せる。まるでノアの方舟のような物語。スティング自身のライナーではこの曲に対して次のように書いている。

「船乗りだった僕の大おじが、いつかこんな忠告をしてくれた。『行く先のわからない船には乗るな』」

 

 最後のD面はジャジーでスタンダードっぽい「Sister moon」ではじまる。ウッド・ベース様の音色にサックス、柔らかなシンセに包まれ、ボーカルが伸びる。歌詞の中に「NOTHING LIKE THE SUN」という言葉がある。シェークスピアからの引用とのこと。英国古典に深い造詣があるというスティングの物語世界が、シンプルな曲調の中に展開している。C面の「Straight to my heart」、「Rock steady」とともに、歌詞がわからないと理解半分の面があるのは否めない。サウンドだけでも楽しむことはできる。しかし歌詞の内容を知ることでアーティストの深いところまでを覗ければ、その曲の意味することをもっと体感できるはず。このあたりは洋楽を聴く日本人の圧倒的に不利な要素だろう。スティングはライナーで、

「月の満ち欠けによって、気が変になったりするすべての人に、あらゆる狂人たちに贈る」

 と書いている。

 ラス前に「Little wing」だ。オリジナルはジミ・ヘンドリックス。クラプトンもデレク・アンド・ザ・ドミノスでカバーしているこの曲を、スティングがやるとは、と当時は思っていた。この曲を取り上げた経緯を、スティング自身がライナーに書いている。

「僕は、ロンドンにあるロニー・スコットのクラブで、ある夜、ギル・エバンスに会った。僕が15歳の時から、彼は、僕にとってのヒーローだった。(中略)それから数年後、グリニッジ・ビレッジのスウィート・バジルという小さなクラブで、僕は彼のバンドと一緒に歌った。(中略)その時、僕たちは、3曲やったが、(中略)あとの2曲は、ギルが長年演奏している、ジミ・ヘンドリックスの『Little wing』と『Up from the skies』だった。『ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』は、僕が15歳の頃初めて見たバンドのひとつで、その頃、僕は、ジミヘンのファースト・シングル『Hey Joe』を買ったばかりだった(後略)」

 なるほど、そういうわけ。

 ふわふわとした、つかみどころのないアレンジに、ギターのアクセントが効いている。間奏のギターは逆にしっかりとロック・ギターを鳴らしまくる。しかし紛れもなくスティングのカラー。ジミヘン、クラプトン、スティング、それぞれがそれぞれの音に染めている。ライナーでもギル・エバンスに触れられているが、この曲のセッションはギルをはじめ、ニューヨークのジャズ・ミュージシャンたち。それでも他の曲とはたいして違和感を感じない。アルバム製作におけるスティングの立ち位置がはっきりしていたからなのだと思う。

 本作を締めるのは「The secret marriage」。ベースとピアノだけの2分余りの小曲。決して大団円ではないエンディング。不穏な空気を残したままで、まだ何かを言わなければならないのだけど、というように曲が終わる。歌詞の一部を見てみる。

 

 ぼくらの結婚を祝福する教会は地上のどこにもなく

 ぼくらを認めようとする国家もどこにもない

 ぼくら2人はどの家族の絆からも締め出され

 頼みを聞き入れてくれる仲間もどこにもいない

 

 秘密の婚礼 誓いの言葉は決して口にされない

 秘密の結婚 破綻することはありえない

 

 ナチスから逃れるためにアメリカに亡命したドイツの音楽家が作ったのメロディを応用して作られた曲だという。歌詞自体も彼のことを歌ったよう。

 本作はスティング36歳の作品。徹頭徹尾、音楽的、思想的主張をふんだんに込めたアルバムと言ってもいい。潔し。

 

 

f:id:yokohama-record:20210831164401j:plain

ミュージシャンというよりも求道者に見えてしまう

 

 



行く先に迷ったときに、「深く思考せよ」とスティングに言われた、ような気が

 

 先にも触れたが、本作が発表されたのが1987年の秋で、私は大学に入ったものの、当初の目的が半ば失われて心身ともに彷徨っていた時期だった。そんなときにこのアルバムを聴き、何度も聴き、歌詞は断片的にしか理解できなかったのだけれども、それでもスティングがこれまで以上に何かを沈痛に訴えかけようとしていることはわかった。

「君はどうしようとしているのか」

 スティングに問いかけられているような気がした。

「何も見えない。ただこの猶予期間をどう使っていけばいいのか、わからない」

 ぼんやりとした不安の中にいる私に対し、

「必要なことは、より深く思考することだ」

 そう言ってくれたのだと思う。このアルバムの楽曲を通して。

 だから本作は私にとって、ひとつの哲学書でもあったわけである。自己の内面に沈んで考える。そこから世の中を仰ぎ見る。少しずつ外部へと視界を広げていく。そんなことを繰り返していた。

 並行して、本を読み漁った。ひたすら読書に明け暮れた。私小説から難解な学術書まで、とにかく読み散らかした。人生で一番本を読んだ時期だ。

 ほぼ籠りきっての読み漁り生活から半年余り、私は日本を見て歩くことにした。低予算長期間をモットーに、各停で多くの町を見たいと思った。それから数年の間、夏と冬の長い休みに入ると、リュックひとつ背負って(当時はまだバッグ・パッカーなんて言わない)列車に揺られて西へ、北へと旅してまわった。

 このときの体験は、のちの人生に確実に影響した。このあたりの話はまたいずれ機会があれば。長くなること必至なので。

 まあ、私個人の歴史のそんな時期に強烈に焼き付いていたアルバム、と理解していただければ。

 そんな背景があるので、このアルバムは私にとって重要なのである。

 思えば80年代は私のいわゆる青春真っ只中なわけで、短期間のうちに多くのものに出会い、吸収し、影響を受けていた。昨日まで白だったものが翌日には黒になったということもある。目から鱗のようなこと。だからほんの少し時期を違えただけで、指向性が変わったことだってある。それでも徐々に吸収されたものが削ぎ落とされていき、粋の部分だけが残っていき、それ以前よりは自己というものが固まっていく。完成はきっとしない、人生の終わりまでは。でもそれは揺るぎないものにはなっていく。

 私はこの時期のスティングに、そんな揺るぎないものを感じていたのかもしれない。

 少々堅くなってしまった。すまぬ。

 当時よりもなお、現代社会が抱えた問題は多く、深い。それらのことを思考せよと未だスティングは言う、私に。そのとき、流れてくるのは当然「Fragile」なのだ。

 スティングのロックもかっこいいのだが、どうしても憂いのあるこの曲に行き当たってしまう。

 

 On and on the rain will say

 How fragile we are  how fragile we are

 

 スティングは私の耳元でそう囁き続けている。30年以上経った今もなお。ことあるごとに。

 

 

 

・・・オール・ディス・タイム

 

#010『峠のわが家』矢野顕子(1986)

f:id:yokohama-record:20210802170333j:plain

飾り気がほとんどないジャケット、中身で勝負、ということかな

 

『峠のわが家』矢野顕子

 

sideA

1. The Girl of Integrity

2. David

3. ちいさい秋みつけた

4. 一分間

5. おてちょ。(Drop me a Line)

sideB

1. 海と少年

2. 夏の終り

3. そこのアイロンに告ぐ

4. Home Sweet Home

 

 

[Recording Musician]

Steve Ferrone : Drums

高橋幸宏 : Drums

Steve Gadd : Drums

Anthony Jackson : Bass

Eddie Gomez : Bass

Eddie Martinez : Guitar

大村憲司 : Guitar

松原正樹 : Guitar

吉川忠英 : Acoustic guitar

坂本龍一 : Keyboards

Benny Wallace : Alto sax

Gene Orloff : strings contractor

井上陽水 : Background Vocals

鈴木さえこ: Background Vocals

鈴木慶一 : Background Vocals

武川雅寛 : Background Vocals

矢野顕子 : Piano, Keyboards, Background Vocals

 

 

Produced by 矢野顕子

Co-produced by 坂本龍一

 

 

 

 

いわゆるYMO時代を終え、新たな局面へ踏み出した一枚

 

 矢野顕子を初めて見たのは、YMOがワールド・ツアーを終え、東京に凱旋したライブがTVで放映されたとき。1980年の暮れだったか。そのサポート・メンバーだった矢野を見て、私は「矢野顕子というのは随分イカれた(もとい、イカした)キーボード奏者なのだな」と思ったものだ。すでに雑誌などではその詳細を知っていたし、写真も多数拝見していた。前年のツアーのライブ・アルバムも聴いていたので、ちょっと跳ねた感じの人だとは思っていた。しかしやはり、動画の印象は強烈だった。で、私は取り憑かれてしまっていた。

 東京で生まれ、青森で育った矢野顕子さん。彼女が東京へ戻ってきたのは15歳。青山学院高等部へ通いながらレストランでピアノを演奏するが、そちらが忙しくて中退。父の知り合いである安部譲二の家に移り、彼の経営するジャズクラブで演奏するようになる。そこで彼女のピアノは音楽業界に一気に知れ渡り、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事も舞い込むようになる。

「ザリバ」というグループを組んでシングルを出すが、1枚で解散。満を持した形で1st solo album『JAPANESE GIRL』を発表したのが1976年。A面のバックを務めたのはなんと「Little Feat」だ。だが、レコーディングを終えたロウエル・ジョージはギャラを受け取らなかったという。「矢野の音楽に対して自分たちはそれをきちんとサポートできなかった」と言ったとか。当代きっての米国アーティストが、矢野の才能に兜を脱いだのだった。B面は細野晴臣鈴木茂はっぴいえんど組やムーンライダースなどが参加するという、なんとも贅沢な作品となったのである。

 矢野の名を世間に広めたのは、YMOのワールド・ツアーにサポート・メンバーとして参加したことと、その直後の「春咲小紅」のヒット。1980年前後のこと。YMOのワールド・ツアーの演奏はその後も結構発表されており、その中で演奏された矢野の「在広東少年」も収録されているのだが、曲が終わったあとのオーディエンスの歓声と拍手はYMOを凌ぐほどのもの。そのパフォーマンスと存在感の大きさをうかがい知れる。

 まあつまり、YMOから矢野に入っていったのです、私の場合は。

 YMOのサポートをしつつも、矢野はそのYMOをバックに2枚組の大作であり名作『ごはんができたよ』を発表する。それまでの矢野作品にテクノ・テイストをふんだんに盛り込んだ超がつくほどの傑作アルバムは、矢野の代表作のひとつとなった。同時に当時のテクノ小僧たちにも大いに支持される。

 その路線が先数年のアルバムでも続いていく。80年代前半の『ただいま。』、『愛がなくちゃね。』あたりまでは矢野テクノを進化させていくのだが、1984年の『オーエスオーエス』ではYMOのメンバーは参加しているものの、それまでのテクノとはいくらか毛色が異なってくる。コテコテな曲が少なくなった。

 そして本作『峠のわが家』に至る。

 発売は1986年2月21日。当時はレコードとCDが同時発売された頃か。それ以前はまずレコードが発売され、1~2ヶ月後にCD、という形が多かった。それでもまだCD黎明期。その頃私はまだCDデッキは持っていない。聴いたのはレコードだ。

 高校卒業直前の時期で、全然勉強していなかったから卒業後は浪人決定なのだけど、でも一応2校くらい大学受験して、それが終わったくらいの頃。発売後わりと早く聴いたと思う。で、すぐにのめり込んで何度も聴いた。私にはとても新鮮なサウンドに聴こえた。

 ジャジーな曲もあれば、リズムで圧倒される曲もあり、また安定の矢野ポップもありの充実の1枚だ。カバーの選曲も良く、出来も抜群。そこまでの数年、矢野とYMOは表裏一体のような山を形作っていた印象だったのが、本作で矢野は独立峰となったと感じた。坂本龍一が全面的に参加しているが、おまかせにはしていない。あくまでも矢野のやりたいことをサポートしている。そのあたりが私には新しく感じられたのだろう。

 ちなみに本作は、矢野も設立に関わったレコード会社「MIDI」の第1弾アルバムである。

 

f:id:yokohama-record:20210802170525j:plain

折り込み型の歌詞カードは最近少なくなった

 

 

今でも衝撃が走る「ちいさい秋みつけた」の矢野的アプローチ

 

 アルバムはスティーブ・フェローンのドラムからはじまる。「The Girl of Integrity」はほとんど2コードのセッションのような曲なのだが、太鼓の音処理などは80年代半ば風で、ニューウエーヴ的な仕上がりにもなっている。それで「金が欲しいわけじゃない、ここまできたのは」という歌詞だ。当時は今ひとつピンとこなかったが、少しずつ毒が回っていって、何年かあとにはもうそれが抜けなくなった。「Integrity」は誠実とか高潔とか完全性といった意味。「でも自由ほんとに 自由こんなに」のところで陽水のコーラスが入る。ドラムのスティーブ、ギターのエディ・マルチネス以外のインストルメンツは坂本。クルンクルン鳴ってるピアノが印象的なのだが、クレジットに矢野の名前はない。作詞・作曲は矢野。

 本作で一番有名な曲は次の「David」だろう。のちにフジテレビの深夜番組「やっぱり猫が好き」のテーマ曲として流れるようになり、本作発売後4年以上経ってシングル・カットされた。この曲はそれまでの矢野テクノ路線に近い親しみやすいポップ・ソング。イントロのキーボードのフレーズで持っていかれる。さてこのDavidさんはデヴィッド・ボウイなのか、デヴィッド・シルビアンなのか。あるいはまた別の…。それはわからない。本作発表当初はテレビ番組のオープニングに使われてヒットするとは考えもしていなかったが、好きなアレンジだったので、やはり世の中に受け入れられる要素を持った曲だったのだろう。ドラムは高橋幸宏、ギターは大村憲司、キーボードが矢野と坂本。コーラスに鈴木慶一、鈴木さえこ、武川雅寛と矢野。作詞・作曲は矢野。

 そして本作の最初の山場となるのが「ちいさい秋みつけた」。サトウハチロー作詞、中田喜直作曲の誰もがご存じだろう童謡も矢野の手にかかると、矢野カラー染め上げられてしまうのは、すでにこれまでのアルバムでも経験済み。スティーブ・フェローンのドラム、アンソニー・ジャクソンのベース、そして矢野のピアノのトリオが基本。アンソニー・ジャクソンとのセッションはこの曲が初めてで、以降長きに渡っての付き合い。やはり1996年から年末恒例となった「さとがえるコンサート」での名演が焼き付いている。そこでもピアノ・トリオが基本で、この曲も何度か演奏された。だからあらためてこのアルバム・ヴァージョンを聴くと、坂本のキーボードが意外とたくさん入っていることに気づかされる。間奏や後奏は、Sly and the family stone の「If you want me to stay」へのオマージュか。まあ、このコード進行は珍しくはないけど。しかし、高校を卒業した頃の私には大いに刺激的な一曲となったのだった。スリリングな演奏だと思った。音数は多くないのに。そんな中で「ちいさい秋 ちいさい秋 誰かさん誰かさん誰かさん ダダダァー ウォーホー」とスキャットでたたみかけるのだから、こっちの腰も動いてくる。いや何度もリピートして聴いた。ライブで見たときも大興奮だった。

 次の「一分間」も基本はピアノ・トリオ。でも前曲のセッションとは異なり、ドラムはスティーブ・ガッド、ウッド・ベースはエディ・ゴメス、途中でベニー・ウォラスのアルト・サックスが入る。この曲には坂本は参加していないので、よりジャジーな雰囲気が濃厚に漂う三拍子の小曲。現代詩人の藤富保男の詩に矢野が曲をつけた。

 

 非常に静かな

 一分間

 葡萄酒の上には

 雲が浮かんでいた

 ぼくには

 月

 犬は腕組みをしている

 

 今聴くと実にしみてきて、その上楽しくなってくる。のだが、当時の私にはわからなかったのだな。この詩も、そしてサウンドも。でも「犬は腕組みをしてる」のところではその絵がいつも頭の中に浮かんできて、クスッと笑ってたか。

 ニューヨークのスタジオ、パワーステーションもクレジットされているのだが、このスティーブ・ガッドのセッションがそれにあたるのだろうか。

 A面ラストは「おてちょ。(Drop me a Line)」。おてちょが「おてがみちょうだい」の略だったことを、今回初めて知った。ドン・ドンドンという祭りの太鼓のようなビートに吉川忠英のアコギのコードが乗り、エディ・マルチネスのギターがうねる。キーボードは坂本のみ。作詞には矢野とピーター・バラカンの名が。歌詞は英語だ。ニューウェーヴともなんとも言い難いような曲なのだが、紛れもなく矢野テイストふんだんの曲ではある。

 

 

 

息つく暇ないB面を聴き終わると、なんという多幸感、そしてちょっとだけせつない

 

 B面最初は「海と少年」。大貫妙子の曲で、彼女の1978年発表のアルバム『ミニヨン』に収録されている。余談だがこのアルバムのプロデューサーはなんと音楽評論家の小倉エージだ。驚いた。大貫の原曲は大きく括ればいわゆるシティ・ポップ系のサウンド。なのだけど、細野晴臣のベースがあまりにも細野的で、そちらの色のほうが濃く感じる。編曲は坂本だ。

 矢野カバーのほうは、原曲アレンジからそれほど遠くはない。けれどもリズムのアタックが強い。ドラムはスティーブ・フェローン、ギターはエディ・マルチネス、その他は坂本だから「The Girl of Integrity」のセッション。だが、ギターにもう一人、松原正樹がクレジットされている。リズム・ギターだ。彼のギターのカッティングがこの曲の肝だと聴くたびに感じる。どの時代でも、どのセッションでもいいギターを弾く。編曲は矢野と坂本。

 次の「夏の終り」から最後までの3曲はいつも一気に聴き入ってしまう。まともに向き合って聴くから、終わったあとは多少の疲労感がある。しかしそれ以上の多幸感に包まれ、ちょっとだけせつなくて眼が潤む。フーッと息を吐く。

「夏の終り」は作詞・作曲は小田和正オフコースが5人になって1978年に発表されたアルバム『FAIRWAY』に収録されている曲。当時、オフコースは聴いていた。けれども矢野との接点が見出せず、「なぜこの曲?」というはてなマークがしばらくチラついていた。矢野はかなりの小田ファンだったというのはあとで知ることとなる。その後も原曲を留めない「YES-YES-YES」を発表したり、小田と一緒に The Boom の「中央線」を歌ったりと、小田がらみのトピックは多い。「さとがえるコンサート」にサプライズで小田が出てきたこともあった。

 それはさておき、この曲にはストリングスが全編に取り入れられており、それが荘厳かというと、そうでもない。なんとなく曇り空のグレート・ブリテンみたいな印象。そう思えば「嵐が丘」のような感じもするし、アレンジやボーカル・スタイルがケイト・ブッシュに近いような気もしてくる。原曲がせつなくもほんわかしたアレンジなので、曲調はまったく違っている。後半はかなり劇的だ。ドラムはスティーブ・ガッド、ベースはアンソニー・ジャクソン、キーボードには坂本のみ。で、ストリングス・アレンジは坂本なのだが、「strings contractor」としてジーン・オルロフという人がクレジットされている。ストリングス関係の奏者の名はない。「contractor」を調べると「委託業者」や「契約者」とある。つまりこの人に丸投げして納品してもらったということなのか。他に「The Girl of Integrity」と次の「そこのアイロンに告ぐ」にも名がある。

 その「そこのアイロンに告ぐ」。That’s the Yano world なスリリングなセッションだ。まごうことなくジャズ。前曲と同じリズム隊に松原正樹のギター、ベニー・ウォラスのアルト・サックス、坂本のキーボード。それで矢野のピアノと当然思うのだが、なんとそれはクレジットされていない。えっ。弾いてないの。この曲はのちに上原ひろみとのピアノ・セッションが有名だし、矢野のピアノ・ジャズの代表曲なのに? 今一度聴いてみる。ホントだ。メインはエレピで、生ピは入ってない。これも坂本が弾いているのか。ここを任せてしまうなんて、二人が一番蜜月の時代だったのだろう。

 ジャジーなのは間奏、サックス・トリオのスリリングなセッション。2度目の間奏にはこれに松原正樹の軽妙なカッティング・ギターとエレピのカッティングが加わる。とは言ってもやはりこの曲は狂気にも似た矢野のボーカル。息つかせぬ矢継ぎ早の言葉に縦横に動き回る声。聴いているほうも息継ぎの場所を探しながら拍子をとる。だから疲れるのである。本気で相対さないと打ち負かされる曲なのだ。

 エンディングは「Home Sweet Home」。ユキヒロのバス・ドラムのドッ・ドドッに吉川忠英の綺麗なアコギのアルペジオ。笛のような音色のシンセ。それだけでなんだかせつない。歌詞を全部読みたい。

 

 大きい家 小さなアパート

 人が寝るところ どこも少し寂しいね

 小さい窓からにじむにおい

 もうすぐ集まる家族のごちそうの音

 あれが Home Sweet Home

 いつも夢見る

 今はひとり

 一緒にいた時は知らない気持ち

 Home Sweet Home

 遠くはなれてても あなたを忘れない

 愛をおしえてくれた あなたが大好きよ

 誰もわかってくれないの

 ここにいられない やっとひとりになれるね

 壊した家を出たくせに

 今 私達は 新しい家を作る

 ここが Home Sweet Home

 愛する人たち

 されど Home Sweet Home

 たとえ ひとりきりになったとしても

 Home Sweet Home

 遠くはなれてても あなたを忘れない

 愛をおしえてくれた あなたが大好きよ

 

 初めて聴いたときも今も、グッときて涙出そうになるのは「壊した家を出たくせに 今 私達は 新しい家を作る」のくだりだ。矢野も情感込めて歌い上げる。実に人の心情をよく表している詩だと思う。もしかすると人類の歴史なんてこの繰り返しかも知れない。作詞・作曲共に矢野。エレキ・ギターは大村憲司、キーボードは坂本、ピアノは矢野。

 サビ前からユキヒロのドラムの手数が増し、それまでの情緒とは打って変わってタイトなビートの佳境を迎える。『ごはんができたよ』から続く矢野のポップ・テクノの行き着く先はこの曲。はじめに比すれば若干テクノ色は薄れてきているものの、この路線の集大成のような曲なのである。翌年発表された『GRANOLA』が相当にアコースティック色が強い作品であることから考えても、この『峠のわが家』は矢野の80’s前半の集大成といってもいい。だからこそ、時代を超えてなお新鮮に、長く聴き続けることができるアルバムとなったのではないか。

 

f:id:yokohama-record:20210802170623j:plain

MIDIの文字が懐かしい。ある種のブランドでした。



 

充実の90年代を経て、今なお驚きのアルバムを発表してくる過激な姿勢

 

 本作で私の「矢野愛」は揺るぎないものとなった。その後、私的には「充実期」とさえ呼びたい90年代に入る。

 1990年にニューヨークに移住し、1991年の『Love Life』から『Love is Here』、『Elephant Hotel』。さらにピアノ弾き語りの『Super Folk Song』、『Piano Nightly』と矢野スタイルを確立し、彼女の作る音楽がもはやひとつのジャンルとして存在するが如く、無比の存在となった。

 とりわけ、『Love is Here』発表後のコンサートにひとつの極みを見せる。

 ピアノ2台にアコースティック・ギター、パーカッションという変則編成で、ボサノヴァ・タッチの穏やかで落ち着いた雰囲気のコンサート、と思われたのだが、ピンと糸が張り詰めたような、静かな緊張感に目が離せなくなる。そして終盤、ユニコーンのカバー「すばらしい日々」でそれは頂点に達する。前半は比較的しっとりと進んでいく。原曲とはまったく違うアレンジと息づかい。サビで3/4に拍が変わる。最後のサビからは矢野の嗚咽にも似たボーカルとスケールが高まっていくピアノで、こちらも息を飲みつつ目を反らせない。これこそが「鬼気迫る」演奏と言うのだろう。奥田民生があえて淡々と無感情に歌っているのとは、まったく対照的な名演である。奥田のも名演だが、ここまで換骨奪胎して自分のものにしてしまうとは、もう神の領域か。

 今でもこの曲を聴くのには勇気がいる。上記の通り、聴き流すことなんてできないし、聴きはじめたら最後まで本気で対峙しなければならないから、全身で受け止めなければならないから。

 1996年から毎年年末恒例の「さとがえるコンサート」がはじまる。私は第1回から10年間通った。カエルのキー・チェーンも10個ある。基本的にはピアノ・トリオなのだが、その編成や内容は年ごとに柔軟に変わっている。トリオにギターが加わった年もあれば、くるりがバックを務めた年もあった。くるりの年はなんと最前列の席が当たって、しかし当日は体調悪く唸りながらステージを見上げていた。目の前だから途中退席もはばかられ、なお呻吟した覚えがあるが、それも今となっては懐かしき思い出。

 ちなみに昨年もきちんと行われている。林立夫小原礼佐橋佳幸という強者たちをバックに。

 ここ数年はTwitterでの発信を積極的に行なっている。東日本大震災後の東北との関係のことや、和食の食材事情や、水泳をはじめたことや、そしてコロナ禍のニューヨークの様子など、市民目線の発信はリアルで楽しい。

 近年はアルバム発表の間隔が長くなってきているが、「本気のテクノを見せてあげる」とうたった2015年のアルバム『Welcome to Jupiter』はなかなかの迫力だった。そしてすごく遠いところへ行ったなと思える曲もあった。さすがだ。

 2005年まではかなり濃厚に聴いてきた。それ以降は家族ができたこともあり、ライブには行けなくなったが、ニュー・アルバムが出れば聴く。「あー、今の矢野はこんなこと考えてるんだ」などと思いつつ、もはや古い友だち感覚で矢野の音に接しられる。長く聴き続けるとは、こういうことなのかと。

 まだきっと終わらない。あと何度驚かされることかと楽しみにしている。ひとつ気になっていることは、生涯をニューヨークで終えるつもりなのか、ということ。多分、そうなんだろう。

 

峠のわが家

峠のわが家

Amazon

 

 

#009『REVOLVER』The Beatles(1966)

f:id:yokohama-record:20210719172844j:plain

ビートルズのアルバムを選ぼうというときに、最初に脳裏に浮かんだのがこのジャケット。

 

リボルバーザ・ビートルズ

 

sideA

1. Taxman(タックスマン)

2. Eleanor Rigby(エリナー・リグビー)

3. I’m Only Sleeping(アイム・オンリー・スリーピング)

4. Love You To(ラヴ・ユー・トゥ)

5. Here There and Everywhere(ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア)

6. Yellow Submarine(イエロー・サブマリン)

7. She Said She Said(シー・セッド・シー・セッド)

sideB

1. Good Day Sunshine(グッド・デイ・サンシャイン)

2. And Your Bird Can Sing(アンド・ユア・バード・キャン・シング)

3. For No One(フォー・ノー・ワン)

4. Dr. Robert(ドクター・ロバート)

5. I Want To Tell You(アイ・ウォント・テル・ユー)

6. Got To Get You Into My Life(ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ)

7. Tomorrow Never Knows(トゥモロー・ネバー・ノウズ)

 

 

The Beatles

John Lennon : Vocal, Guitar, Hammond organ, Mellotron, Tambourine

Paul McCartney : Vocal, Bass, Guitar, Piano, Clavichord

George Harrison : Vocal, Guitar, Bass, Sitar, Tambura, Maracas, Tambourine

Ringo Starr : Vocal, Drums, Maracas, Tambourine, Cowbell, Shaker

 

[Additional Musicians]

Anil Bhagwat : Tabla

Alan Civil : French horn

George Martin : Piano, Hammond organ, 

Mal Evans : Bass drum

Tony Gilbert, Sidney Sax, John Sharpe, Jurgen Hess : Violins

Stephen Shingles, John Underwood : Violas

Derek Simpson, Norman Jones : Cellos

Eddie Thornton, Ian Hamer, Les Condon : Trumpet

Peter Coe, Alan Branscombe : Tenor saxophone

Geoff Emerick, Neil Aspinall, Pattie Boyd, Brian Jones, Marianne Faithfull, Alf Bicknell : Background vocals

 

Produced by George Martin

 

 

ビートルズは、終わってみれば全部紹介してる、かも

 

 ビートルズという名を知ったのは小学生だっただろう。それが何者かもわからず。吉田拓郎井上陽水矢沢永吉なども同じだ。名前は出てくるのだ、小学生が読む本なんかにも。すごい歌手であることもそこから読み取れていた。ではどんな人でどんな歌なのか、小学生の私は知らない、あまり興味もないという。そういう存在だった。

 でもそれがビートルズとは知らずに、耳にしていた曲が実に多い。あとで「ああこれか」と思った曲が20くらいはあっただろう。例えば当時の子供番組「ひらけ、ポンキッキ」では「Please please me」や「Love me do」が短いコーナーのSEとして使用されていたし、「Ob-la-di, Ob-la-da」や「She loves you」、「All you need is love」、「Help」、「Ticket to ride」、「Here comes the sun」etcetcなどがテレビやラジオで頻繁に使われていたのだろう。初聴で「知ってる」と思った曲がかなりあった。

 そこから踏み出すことになったのは1980年1月、ポール・マッカートニーが成田空港に降り立った途端、大麻取締法違反で逮捕された事件だった。この時期、私は中学受験の追い込みの時期で、深夜ラジオを聴きながら勉強する日が続いていたのだか、ラジオのニュースでその事件を知った。翌日の新聞にも大きく報じられた。そこでこの人がビートルズということを知ったのだった。

 受験は失敗し、地元の中学に通うと、そこの英語の教科書にジョンとポールが出てきたのだった。ビートルズは教科書にまで登場するのか。これで少しずつ興味が湧いてきた。

 当時NHK-FMの平日夕方4時10分から6時まで「軽音楽をあなたに」という番組があった。軽音楽というものがなんなのかも知らず、また軽音楽なんて言い方も今にして思えばポップス黎明期を引きずっているようで、おかしい。いや、2021年の現段階から見れば、黎明期の終わりくらいになるのか。

 要は洋邦のポップ・ロックを特集して流してくれるプログラムだったのだが、そこで1週間通してビートルズのアルバムを全部オン・エアするという特集があった。これは好機となけなしの小遣いをはたいてカセット・テープを10本買い込み、学校が終わったらすぐに走って家に帰り、すべてエア・チェック(録音です)したのだった。前にも書いたが、当時のFMはオン・エア・リストを事前にFM誌に掲載し、なおかつアルバムの場合はご丁寧にA面が終わったらカセット・テープをひっくり返して巻き戻すくらいのインターバルをDJのおしゃべりで空けていてくれるという、なんともご丁寧な構成だったので、無事にすべてのアルバムを録音できたのだった。

 もちろんその後はテープを聴きまくった。のだけどそこはやはりまだ中1、理解できないサウンドもかなりあった。当時はやはり初期から中期手前のものを好んで聴いていて、2枚組ベストで言えば「赤盤」あたりがヘビー・ローテーションだった。

 ほぼアルバムを揃え、「さあこれからガッツリとビートルズとの付き合いがはじまるぞ」と思っていた矢先だった。ジョン・レノンの銃殺のニュースが飛び込んできたのは。夕刊で知ったと記憶している。しかもその日の夕方は雨だったことも絵面として脳裡に刷り込まれている。当時の私のまだペーペーのビートル・マニア。そんな私でもずっしりと心に重りを押し込まれたように気持ちで沈んでいった。2ヶ月前に発表されていたジョンのアルバム『Double Fantasy』もFMでアルバムごとエア・チェックしてよく聴いていただけに、「Starting Over」のイントロの「りん」様の音の暗示するものに畏怖したものだった。

 ちなみのこの10年後の冬、私はニューヨークのセントラル・パーク前のダコタ・ハウスの前に立った。

 私のビートルズはかくの如く、1980年がはじまりであり、同時にある種の終わりでもあったのだった。はじまった途端に封印されてしまった。

 先の「軽音楽をあなたに」の特集は英国版のオリジナル・アルバムをオン・エアしてたのだと思う。『Magical Mystery Tour』はなかった。このアルバムは翌年、誰かから借りて聴いた。誰だかは覚えていないことにする。で、これが見事に自分の当時の音楽的ツボにはまった。以降しばらくはこのアルバムが一番のお気に入りとなったのだが、少しずつ成長して高校になると中期・後期の作品に心惹かれる。その頃にはビートルズのあれやこれや、各メンバーの志向や葛藤なども知って、それが作品に反映されていることもわかってきていたから、より哲学的に聴くようにもなっていた。

 音楽的素養もローティーンの頃とは比べものにならないほど広く深くなっていたから、時代背景や世相などというものも作品を聴く上では重要なファクターになってきていた。

 だからどの時代のアルバムも好きで、たった8年でよくぞここまで変化し、実験し、世に問うてきたものだとあらためて驚愕してしまう。

 きっと、もしこの「名盤アワー」が長く続けば、ビートルズのアルバムは結局全部紹介することになるだろうと、すでに思うのである。

 問題は最初に何を紹介するか、なのだ。これは難問。ビートルズのアルバムでベスト1はどれって聞かれても、即答など無理。と言いつつ、すーっと浮かんでくるものはある。それが『Revolver』なのだ。ベスト1なのかどうかはわからない。けれどもそのジャケットが最初に眼前に現れてくる。そして「Taxman」のイントロ部のカウントのささやきが耳に響いてくるのだ。

 

 

 

f:id:yokohama-record:20210719173022j:plain

 

無節操なくらいのバラエティに富んだ曲が並ぶ

 

 オープニングは「1,2,3,4,1,2」からはじまる「Taxman」。ジョージの曲で幕が上がるのだ。今回ヘッドフォンでじっくりと聞くと、思っていたよりも大胆にパートを左右に振っていると確認。左チャンネルに演奏。真ん中に声。右はタンバリンやカウベルなどのパーカッション。間奏のヘビーなリードギターは右で独壇場だ。この曲の例の印象的なリフはベースで奏でられ、最後にギターがユニゾンになる。ずっとギターはリフを弾いていると思っていたが。途中のポールのベースがはちゃめちゃに動く。

 2曲目は「Eleanor Rigby」。ポールの曲だが、ライナー・ノーツによれば詩の大半はジョンが書いたという。演奏はバイオリン、ビオラ、チェロのみの弦楽奏。弦独特の切れとスピード感がある。ポールのボーカルはサビのみ中央に来る、あとは右チャンネル。エンディング前の「I look at all the lonely people」のポールの声は左。昔ラジオかなんかで「father McKenzie」が「ハザマ・ケンジ」に聞こえると言ってた奴がいた。不遜。しかしもうそのようにしか聞こえなくなった。聞くたびにその字面が過ぎる。ストリングス・アレンジはポールとジョージ・マーティン

 次の「I’m Only Sleeping」はジョン。ライナー・ノーツによれば、「その、哲学的でさえある瞑想の世界は、今日のジョンに見られる実践的な生活態度に通ずるものがあり、彼の根本的な思想の背景を思わせる」とある。2番の歌詞を見てみる。

 

 Everybody seems to think I’m lazy

 I don’t mind I think They’re crazy

  running everywhere at such a speed

 Till they find there’s no need(there’s no need)

 Please don’t spoil my day

  I’m miles away and after all

 I’m only sleeping

 

 みんな僕をなまけ者と思ってるらしい

 僕はちっとも構わないさ そんな連中こそ

  どうかしてるんだ そこら中すごい早さで走り回り

 結局そんな必要がないって気がつくのさ

 お願いだから僕の一日をめちゃくちゃにしないで

  まだぼうっとしたままなんだから

 僕はただ眠っているだけさ

 

 確かにジョンの思想の一端という感じがする。サウンドはドラム、ベース、アコギの気だるいフォーク・ロック。ところどころで入るエレキは例のテープ・エフェクト。これがサイケに聞こえる。ジョンのあくびらしきものも収まっている。

 そして4曲目にジョージの問題作、「Love You To」。シタールやタブラをフューチャーしたインディア・ポップとも呼べる怪作だ。中1のときは正直理解不能、いいとは思わなかった。しかし年を経るにつれ、少しずつその快さに気持ちが浮ついていった。ジョージ自身がシタールを弾いており、タブラの音でトリップ。よくぞこんな曲を想起し、まとめたものだ。ちなみにシタールは前作『Rubber soul』に収録されている「Norwegian wood(This bird has flown)」でも使用されているが、「Love You To」のほうが濃厚、インドそのものである。

 その次はもはやスタンダードとも呼べる「Here There and Everywhere」。「いつでもどこでも君と一緒」というラブ・ソングで、ポールの歌い方も実に優しく、甘い。この曲、キーボード類が一切入っていないことに今更ながら気づいた。ドラム、ベース、エレキ・ギターが最低限の音を刻んでおり、重厚なコーラスが空間を埋めている。

 A6にリンゴの「Yellow Submarine」。波の音やあぶくの音などのSEを楽しんで入れている光景が目に浮かぶ。パーティのようなSEとバック・ボーカルにはスタッフや友人が参加。ストーンズブライアン・ジョーンズの名もある。カラフルに聞こえるサウンドだが、意外と音数は少ない。スネアの抜けが非常にいい。

 A面最後はジョンの「She Said She Said」。「彼女は言うのだ、死ぬってどんなことか、悲しみってどんなことか、私は知ってるのよ」といったような歌詞。ミドル・テンポのロックで、ライブで映えそうな曲。シタールっぽい響きのギターが曲を支配している。ポールのベースもブンブンいっている。ドラムもトリッキーなプレイを随所に見せる。リズム隊は左チャンネル、ギターは左、ボーカルが中央という配置。

 

 

 

f:id:yokohama-record:20210719173553j:plain

 

『Revolver』から1曲と言われればサイケ極まる「Tomorrow Never Knows

 

 B面は牧歌的なポールの「Good Day Sunshine」から。普通すぎて当時は流し気味に聴いていた。これはこれで味があるが、本作に並ぶクセの強い曲たちの中に入ると、やはり印象は薄いかな。右チャンネルのピアノの低音は気持ちいい。左はリズム隊。ギターは入っていない。

 だがその次の「And Your Bird Can Sing」はとても好きだった。ツイン・ギターのフレーズのかっこよさ、独特な動きのポールのベース、疾走感があった。よくギターで弾いたものだ。左チャンネルから聞こえるリンゴのハイハットはなんと四つ打ちだ。右のおそらくタンバリンと思われるリズムは複雑に刻んでいる。ライナー・ノーツに「ジョンにしてみると物足りなさが残るらしい」とある。突きつめようとすれば確かにもっと行けるかも知れない。

 B3はポールのバラード「For No One」。クラビコードとフレンチ・ホーンというおしゃれな組み合わせで「愛の影もない涙」と歌う。バックの音のせいか、ポールの声がリアルに聞こえてくる。本作はサイケデリックなアルバムとして名高いが、いやいやポールのバラードに佳曲が多いのも隠れた魅力となっている。この曲のほか「Eleanor Rigby」、「Here There and Everywhere」とビートルズを代表するバラードが収まっていることで、アルバム全体の「重し」ともなっているようだ。ジョンは「ポールの書いた曲の中でもっとも好きな曲のひとつ」と言っている。

 B4はジョンの「Dr. Robert」。比較的オーソドックスなミドル・テンポのロックンロールなのだが、途中のブレイク部分のコーラスがクッションになり、より「らしさ」を醸している。ここは「ポールの協力を得て」完成させたとある。

 そしてジョージの「I Want To Tell You」。ギターのリフが印象的で、ほぼ全編コーラス・ワークに彩られている。主役は三連のピアノ。リード・ボーカルのジョージはずっと右側にいる。ここに来てジョージのジョージたるを確立してきたような曲。本作に収められたジョージの3曲は、どれもタイプの違った曲で、ソング・ライターとしての幅が大きく広がった。

 そしてホーン・セクションがゴージャスなご存知「Got To Get You Into My Life」。ホーン・アレンジはポールとジョージ・マーティン。歌詞は「突然出会った君が僕には必要なのさ、ずっと、1日も欠かさずに」といったストレートでケレン味のないもの。本アルバムにおけるポールの詩はどれも素直で実直なのだが、この曲の詩にはジョンとジョージも協力しているという、意外だ。のちにEarth, Wind & Fire がカバーし、そこはホーンの大本山、見事にモノにしたアレンジを施している。

 そしてアルバムを閉めるこの「Tomorrow Never Knows」が、私にとっては何と言っても『Revolver』のカラーを、永遠性を決定づけている。おそらく、多くの人がそうなのではないだろうか。

 シタールからはじまり、ドラムとベースは中央でワン・コード、延々とループ。ジョンのボーカルは最初は中央と右のダブル・トラック。そして左と中央には大胆にテープ・エフェクトが施されたおそらくギター。ギターには聞こえないけど。これがまったく前衛的に随所に現れる。間奏のギターはきちんと弾いているのか、手が加えられているのか。とにかくスリリングなのだ。目が回るのだ。いろいろな色が混ざり合っているのだ。で、最後はホンキートンク・タッチのピアノがちょっと入ってエンディング。

 凄まじい曲だ。はっきり言って、ラリってる。ジョン自身が言っている。

ラバー・ソウル大麻アルバムで、リボルバーLSDアルバムだ」と。

 このアルバムのレコーディングがはじまる前に、ジョンとジョージはLSDを体験した。その後、ポールも誘ったが、ポールは断ったという逸話もある。

 歌詞もまた超然としている。全部掲載しよう。

 

 Turn off your mind relax and float down stream

 It is no dying

 It is no dying

 

 Lay down all though surrender to the void

 It is shining

 It is shining

 

 That you may see the meaning of within

 It is speaking

 It is speaking

 

 That love is all and love is everyone

 it is knowing

 it is knowing

 

 When ignorance and haste may mourn the dead

 it is believing

 it is believing

 

 But listen to the colour of your dreams

 it is not living

 it is not living

 

 Or play the game existance to the end

 Of the beginning

 Of the beginning

 Of the beginning

 

 

 意識を離れ、安らかに流れに身をゆだねてみる

 それは「死」ではない

 それは「死」ではない

 

 横たわり、空間に身をまかせると

 それは輝きを放つ

 それは輝きを放つ

 

 そうすれば自ら内含される意味がわかろう

 それは話している

 それは話している

 

 愛こそすべて、愛は存在

 それは知っている

 それは知っている

 

 無知なるものと性急さが死者をなげく時

 それは信じている

 それは信じている

 

 しかし夢に耳をそばだてよ

 それは生きている事ではない

 それは生きている事ではない

 

 あるいは存在から無へのゲームのはじまり

 そのはじまり……

 

 もうそのまま味わうしかない。これがこの時期のジョン。しかしこれらが少しずつ能動的になって後期のジョン、解散後のジョンを作り上げたとも言えるような気がする。

 いや、あとにも先にもこんな曲、誰も書けない。名作である。

 

 

 

f:id:yokohama-record:20210719173647j:plain

ジャケ裏のこの写真がかっこよすぎて、部屋に飾ったものだった



前期と後期を分けるターニング・ポイントの作品、ライブからレコーディング志向へ

 

 

 ビートルズの8年のうち、前半4年はかなりのライブをこなしていたが、後半4年はまったくライブは行っていない。その境にあるのが本作である。実験的なレコーディングをはじめたのでライブでの再現が難しくなったことや、メンバー間でライブへの情熱がなくなったというだけでなく、スケジュールの過酷さにうんざりしていたり、ライブの機材面での不満があったり、あるいはツアーを行うことでファンが殺到し、身の危険を感じるようになったり、ファン自身が危ない目に遭ったりと、ネガティブな面が一気に噴出してきたのだった。

 本作のレコーディングが終わったのが1966年6月20日頃。つまりこの『Revolver』制作直後に来日し、武道館公演を行っていることになる。

 ビートルズは東京滞在時、滞在する東京ヒルトンホテルに事実上の缶詰だった。そんなことまでして世界を回ることに疑問を感じていたという。当然だろう。

 英国での本作発売は8月5日だ。ビートルズの最後のライブは8月29日のサンフランシスコ公演だから本作発売後となるが、気持ちはステージではなくスタジオにあったのだろう。そしてスタジオ・ワークに音作りの楽しさや可能性を感じながら制作したのが翌年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』なのだった。

 ライナー・ノーツのヘッド・コピーは、

「ジャケット、詩そして音、その全てにアートの香りが溢れているビートルズの頭脳的傑作集」

 アートの香りで、頭脳的傑作。1966年当時の音楽状況や、その制作技術を考えれば言い得て妙。流行りはじめたサイケデリックな芸術をビートルズが取り込んだことにより、サイケが一気に市民権を得ることとなったという話もある。

 アルバム・ジャケットもまたこれまでにない「アート」と言える。メンバーの顔の線画に目だけ写真を切り貼りし、そこに無造作にいくつかのメンバーの写真を散らしたモノクロタッチのジャケット。制作したのはドイツのクラウス・フォアマン。彼はビートルズがデビュー前にハンブルグでライブを行っていたときに知り合い、以降長い付き合いとなった。デザイナーであり、ベーシストでもある。『Revolver』のアート・ワークは1967年グラミー賞の「最優秀レコーディング・パッケージ賞」を受賞している。1996年に発表された「The Beatles Anthology」のジャケット・デザインも彼だ。

 2003年版の『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500』では3位、2020年版では11位となっており、2003年の紹介文の中で「they’d already entered another word」、「彼らはすでに別世界へと入っていった」とある。

 当時発売後は米英のみならず、西ドイツ、オーストラリア、スウェーデンでチャート1位を獲得。日本で発売されたのはかなり後のこと。当時は英国版がそのまま他国でも発売されるということはあまりなかったらしく、米国版はすでに別の形で販売されていた3曲を除いた全11曲で構成された。

 英国の『レコードコレクター誌による 100 Greatest Psychedelic Records』ではイギリスチャートで1位。やはりサイケの代表のようなアルバム。私もずっとそう思っている。

 だが今回、改めてじっくりとアルバムをリピートしてみて「あっ」と思ったことがある。多くの実験が施されてカラフルなイメージのあるアルバムなのだが、思ったよりも音数が少ないのだ。ビートルズ自体の演奏は極めてシンプル。そして何よりもビートルズ独特のコーラス・ワークが、このアルバムにおいてはより際立っているように感じられたのだ。

 ついついサイケだLSDだとレッテルをつけて聴きがちなアルバムなのだが、その根底には変わらぬコーラス・ワークの秀逸さが支えている。それが『Revolver』なのだった。こうしたカラーはここから後期へ向かっていくにつれ少しずつ薄れていく。というか形を変えていく。サウンドのほうの幅がどんどん広がっていって、そちらに重きが移っていく。やはり本作は前期と後期の過渡期、端境期のアルバムなのである。

 

f:id:yokohama-record:20210719173811j:plain

おまけに帯付きも。この帯にも愛着は大きい。

 

Revolver

Revolver

Amazon

 

 

Revolver [12 inch Analog]

Revolver [12 inch Analog]

Amazon

 

#008『Collection』Another PSY•S[saiz](1987)

f:id:yokohama-record:20210703015137j:plain

図鑑のようなジャケットは今でも大好きだ。これはのちに廉価で再発されたCD。

 

『コレクション』アナザー・サイズ

 

sideA

1. Wake Up

2. ドリーム・スープ

3. 本当の嘘

4. ビー玉坂

5. Woman・S

sideB

6. サイレント・ソング

7. 絵に描いたより Pictureness

8. 風の中で

9. 私は流行、あなたは世間

 

[PSY•S]

松浦雅也 : キーボード、ピアノ

安則まみ(チャカ) : ボーカル、コーラス

 

[Another PSY•S]

鈴木賢司 : ギター

高橋佐代子(from ZELDA): ボーカル

島崎夏美(from Chirorin): ボーカル

安部隆雄 : ギター

ゴン・チチ : ギター、ボーカル

村松健 : ピアノ

杉林恭雄(from Qujila): コーラス

いまみちともたか(from Barbee Boys): ギター

沖山優司(ex Juicy Fruits): ベース

楠均(from Qujila): ドラムス

久保田洋司(from The Ton Nan Sha Pei): ボーカル

清水伸吾(from The Ton Nan Sha Pei): コーラス

楠瀬誠志郎 : ボーカル、コーラス

 

 

Produced by Another PSY•S

 

 

 

今思えば垂涎のメンバーが顔を揃えていた、NHK-FMの「サウンド・ストリート」

 

 1970年代の終わりからおよそ10年間、NHK-FMの平日ほぼ22時台(時期によって開始時間が少しだけ変わっている)に「サウンド・ストリート」という番組があった。曜日ごとに違うDJが番組を担当し、その人選も実に個性的、同時代的で、今思えば奇跡のようなメニューであった。私は1982年くらいから聴きはじめたと思う。

 1983年の各曜日のDJを挙げると、月曜日が佐野元春。「元春 RADIO SHOW」のジングルが今でも頭の中で鮮明に響く。活動休止してニューヨークへと旅立ったあとも、現地で録音するというスタイルで番組を続けていた。いわば、傑作『VISITORS』制作への過程を番組は克明に伝えていたということだ。全部聞き返したい。

 火曜日は坂本龍一。YM0後期から散会後ソロ作を多く発表していた時期に当たる。番組恒例の「デモテープ特集」ではリスナーの宅録を募集して、教授も唸りつつ聴く場面があったりした。槇原敬之やテイ•トウワなども投稿、デビューの足がかりとなったようだ。

 水曜日は甲斐よしひろ。ちょうど甲斐バンド解散の時期に重なっており、複雑な心境を本人の口から聞ける貴重な機会であった。ニューヨークの話が多かった気がする。ボブ・クリアマウンテンとか。パワー・ステーションとか。

 木曜日は山下達郎。こんなに早口な人なんだ、とこの番組で初めて知った。現在も放送しているTOKYO-FMの「サンデー・ソング・ブック」と似たような(というかほぼ一緒)内容で、オールディーズ中心の選曲。かなり勉強させていただいた。

 金曜は音楽誌「ロッキン・オン」の渋谷陽一。編集者のわりに歯に衣着せぬ物言いだったのを覚えている。

 錚々たるメンバーである。40年近く経った今も、みなさんまだ現役の第一線。高校生だった自分に「もっと真剣に聞いておけ」と言ってやりたい。今なら一言一句漏らさないくらいの気持ちで聞くだろう。

 共通するのが、みんな媚を売らないこと。万人受けするようなことは言わないし、する気もない。自分の興味を番組でも追求する。と言ってリスナー不在ではない。同好の士に対して話しているような感じだ。それもまた良かった。むしろ世界がどんどん広がっていった。同世代の方なら、もう一度聞きたいという思いは一緒だろう。

 そして1986年、火曜日の坂本龍一の後釜として登場したのが、PSY・Sの松浦雅也だった。これまた今でいうニッチな人選。

 PSY・Sはキーボードの松浦雅也とボーカルのチャカこと安則まみのポップ・ユニット。二人とも大阪の産。

 1980年代半ばくらいまでは坂本龍一が確立したシンセサイザーサウンドを核としたバンドやユニットが一気に出てきた。新しいジャンルであり、方法論であった。世界の冨田勲が分け入った道に坂本が花を咲かせていき、そこになった実をかじって育ったアーティストが増えはじめてきていた。

 そのひとつがPSY・Sだったと言える。従来の形式をかなり消化した上でのポップ・ユニットであった。

 デビューは1985年。かなり早い時期に私は何かで聴いた。おそらくラジオ。それは「新しいポップ」だった。それからほどなくして発表された「Woman・S」で確信したのだった。これは猛毒だと。

 松浦雅也の革新的なアレンジと音色。それでいて尖ってるばっかりでもなく、染み渡るポピュラー・ソングとして心地よい。チャカのボーカルは並じゃない。一気にご贔屓となったのだった。

 その頃の私は浪人生。一応予備校には通っていたが、試験の2~3ヶ月くらい前になると、ほとんど部屋にこもって相当に勉強していた。人生で一番勉強した数ヶ月。一日が24時間ではなく、眠くなるまでひたすらやって、意識を失うようにバッタリと寝込む。ある程度の睡眠をとったらまたひたすらガリガリ。寝て起きての周期が24時間ではなかった。30何時間というサイクル。

 そんな中で唯一の精神解放はやはり音楽を聴くことだった。月に数度レンタル・レコード店へ行って、気になるアルバムを数枚借りてくる。部屋に戻って、ターン・テーブルにレコードを静かにセットし、針を置く。まだ知らぬ音世界が部屋中に鳴り、響く。たったこれだけのことが、極限近い精神の混濁を回避させてくれたのだ。

 で先の「サウンド・ストリート」を聞くことも同様の効果をもたらした。ひととき、別世界へと遊ばせてくれた。

 その「サウンド・ストリート」の火曜日、松浦雅也は番組内でとある企画を立ち上げた。毎月ゲストとともにマンスリー・ソングを作ろうという。聞くほうは大いに楽しみなのだが、関係者にとっては相当に面倒な企画である。若き才能のあり余る情熱と創造欲がなせる技。

 製作されない月もあったが、それでもほぼ1年間、毎月楽曲を完成させて番組でon airした。聴くほうも何が出てくるかと結構ドキドキしながらラジオを前にしていた。

 それらのマンスリー・ソングと、番組用にアレンジし直されたりしたPSY・Sの既発表曲をまとめたのがこの『Collection』である。以上のような経緯で作られたから、「Another PSY•S」なのだろう。

 アルバムとしてまとめられて発表されたのが1987年2月26日。多分この日はどこかの大学の入試を受けていたはず。3月になって、何とか爪の先数ミリで引っかかった大学に通うことが決まってから、ゆっくりと聴いたのだろう。この時代の個人的な空気がいっぱい詰まったアルバムである。だからPSY・Sのオリジナル・アルバムを紹介するよりも前に、このアルバムを持ってきた。何とも不安定な1年の私の内っ側が垣間見られる。

 ここまで取り上げてきた7枚の名盤は、いずれの盤も衆人が頷く歴史的1枚だった。だが今回は初めて「極私的」名盤を取り上げてみる。いや、そんな言い訳なしでも、傑作なのです。

 

f:id:yokohama-record:20210703015317j:plain

参加アーティストの写真が小さすぎて、老眼の目にはチト厳しい。

 

 

「ビー玉坂」は私にとっては唱歌「ふるさと」に勝るとも劣らず

 

 松浦雅也サウンド・ストリートのオープニングが1曲目の「Wake Up」。ショート・バージョンとクレジットされているが、確かに短いが、ほぼオリジナル・バージョンといってもいい。PSY・Sのセカンド・シングルのB面に収められた曲で、これは12インチ・シングルだった。LPサイズの30cmのシングル。懐かしいな。

 松浦氏はフェアライトを駆使して初期のPSY・Sサウンドを構築しているのだが、この曲はその代表のような曲ではないだろうか。冒頭サンプリングのボーカル、アタックの強いピアノ・コード。だがよく聴けば、アレンジはそこまでは凝っていない。ビートに引っ張られながら、わりと朴訥なチャカのボーカルが乗っかっている。

 間奏のギター・ソロは鈴木賢司。少し前からバカテク高校生として一部で注目されていたが、その後すぐ名前を聞かなくなった。と思ったらシンプリー・レッドのメンバーとなっていた。恐ろし。私は高校生時代のミニ・アルバムを持っている。その後のPSY・Sのアルバムにも彼は結構参加している。

 作詞はチャカ、作曲は松浦氏。

 2曲目は1986年9月のマンスリー・ソング、「ドリーム・スープ」。イントロはピアノのアタック音を切って和音を立ち上げてくる、ギターで言うところのバイオリン奏法のような音が印象的。そこにパワー・ステーション的ドラムがデリカシーなく入ってくる。このあたりの音作りは80代中期的。好きだ。さらにベースとアコギのカッティング。わりと音数は少ない。ボーカルはZELDAの高橋佐代子。うわ、絵面まで一瞬にして蘇る。コーラスにChirorinの島崎夏美とチャカ。ギターは安部隆雄。この人は知らず、今回調べてみると、ベーシストでアレンジャー、プロデューサー。一時子供ばんどBarbee Boysにも在籍していたという。作詞は高橋佐代子、作曲はムーンライダース岡田徹と松浦氏。編曲が岡田、安部、松浦の三氏で「AMOR」とクレジットされている。なるほど、確かにムーンライダース的冒険サウンド

 このアルバムの中では一番当時の匂いがきつい曲だと思う。それだけにあっという間にフィードバックさせてくれる。二十歳の頃に。

 3曲目は1986年6月のマンスリー・ソング、「本当の嘘」。ゴンチチと松浦のタッグだ。雰囲気としてはもろにゴンチチ。軽いラテン・タッチ。バックでのフワフワしたキーボードが松浦的。作詞がチチ松村、作曲がゴンザレス三上、編曲が松浦氏。アコギの音が実にクリアでいい。もちろんゴンチチの二人。声も含めてのゴンチチ・ワールドに、チャカのコーラスは若干違和感ありか。独特の世界観を持っているアーティストに食い込むのは、なかなか難しいのだろう。ゴンチチは、ゴンチチなのだ。

 そして4曲目の「ビー玉坂」が、本アルバムにおける私のもっとも思い入れの強い曲である。かれこれ35年、よく聴いてる。事あるごとにずっと聴いてる。1986年11月のマンスリー・ソング。ピアニストの村松健と松浦氏の連弾、ツイン・ピアノの叙情的な曲だ。作曲は松浦氏、編曲は二人の名がクレジットされている。二人で即興で弾きながらまとめていったのだろう。

 なんと言うか、幼いながらも切ない気持ちを感じた子どもの頃を喚起させるようなメロディなのだ、私にとって。童謡に近い。「ふるさと」よりも染みる。昔からの日本的なコード進行は、玉置浩二が作るバラードに雰囲気が近い。こういうのに弱いのだ。

 また、スタジオの空気感までもが封じ込められて録音されている感じがいい。おそらく一発撮りに近いのではないか。

 この頃は松浦氏はテクノに近い人、シンセの人と思っていたので、この曲には驚かされた。その多才さに恐れ入った。

 A面最後は「Woman・S」のボサノヴァ・バージョン。この曲のオリジナル・ヴァージョンを初めて聴いたときは、カッと目が見開いた。なんというアレンジ、なんという構成、一気に引き込まれた。ポップスのある種の極みとまで思った。それがボサノヴァ・タッチに優しいアレンジとなっている。これもまたいい。

 作詞はパール兄弟の佐伯健三、作曲は松浦氏。クレジットにはボーカルにチャカと、コーラスにQujiraの杉林恭雄とだけあるので、松浦氏がオリジナルに手を入れて別ヴァージョンにまとめたのか。

 で、このボサノヴァ・バージョンはマンスリー・ソングではない。それではサウンド・ストリート内で使用されていたかというと、これが覚えていないのです。でも、このアルバムに収録されているということは、なんらかの形で番組に絡んでいたのだと思う。

 

 

終わり2曲で清冽な気持ちにさせられ、深く余韻の中に沈んで放心した

 

 B面は「サイレント・ソング」からはじまる。本アルバムからの唯一のシングル・カット曲。確かに一番当たりがいい曲である。ライヴでも盛り上がること請け合い。1986年10月のマンスリー・ソング。

 ギターはいまみちともたか。当時は彼のギターはあまりピンとこなかった。うまいとも思わなかった。今聞くと、なるほどちょっとU2のジ・エッジの感じに似てる。その後、この手のギターはあまり出てきていない。その意味からすれば、個性的で貴重なギタリストである。

 いわゆる、バンド・サウンドである。松浦氏の「作り込み」が一番薄い曲だ。ドラム、ベース、ギターが屋台骨となって、チャカの声を支えている。

 ドラムはQujiraの楠均。当時はあまり馴染みがなかったが、21世紀になってキリンジのサポート・メンバーとなり、その後Kirinjiと体制が変わったあとは正式メンバーとなった。メイン・ボーカルを取る曲もあった。憎めないキャラの持ち主である。

 ベースは沖山優司。「Juicy Fruits」の元メンバーで、PSY・Sのライヴでも欠かせない存在だった。メガネの優等生的みてくれだが、ベーシストとして侮れず。

 作詞はチャカ、作曲はいまみちともたか、編曲は松浦氏。

 B2は「絵に描いたより Pictureness」。作詞・作曲・ボーカルが、The 東南西北の久保田洋司。コーラスに同バンドの清水伸吾とチャカ。インストルメンタルはすべて松浦氏。The 東南西北は確か広島出身で事務所はアミューズだった。1stアルバムだけ聞いたことがあるが、リバプールサウンドの毒気のないバンドだった。デビューがほとんど高卒直後くらいだったように覚えている。青さも売りだった。

 速いが抑揚のないロックンロール。自身のバンドでよりは怪しげな雰囲気を持たせて歌っている。この曲は印象が薄い。当時の自分の好みの音ではなかった。1986年7月のマンスリー・ソング。

 B3は「風の中で」。ボーカルと多重録音のコーラスは楠瀬誠志郎。綺麗な声だ。作詞はチャカ。作曲・編曲とインストルメンタルは松浦氏。1987年1月のマンスリー・ソング。

 この曲は猛烈に好きだった。3/4の拍子に和声の心地よさ、イントロはなく楠瀬の独唱からはじまり、ピアノの音が重なってくる。今回改めて聞いたら、ピアノのバックはちょっとJAPANの「Nightporter」風な部分もある。JAPANのほうはちょっとおどろおどろしい曲調だが、こちらは実に清々しく、目の前が開けていくよう。

 

 ふりむけば いつでも きみの面影が ただ

 風の中 何にも 言わずに 輝いている

 

 この部分のバックのコーラスの「フーフッ」の浮遊感が今も時折頭の中で鳴る。コーラスは女声に聞こえるが、クレジットは楠瀬の名だけ。でもこの人ならこんな声も出せるか、と理解。

 この曲にも1987年春の空気が封印されている。あのときのなんとも言えない心境にたちどころに戻ってしまう。音楽はすごい。

 アルバムを締めるのは、サウンド・ストリートのエンディング・テーマでもあった「私は流行、あなたは世間」。オリジナルはデビュー・アルバムである『Different View』に収められている。オリジナルのほうが番組の最後に流れていたのだが、本アルバムに収められているのは別バージョン。

 編曲を溝口肇が担っているので、当然演奏にも加わっていると思っていたのだが、今回ライナー・ノーツを見て驚いた。弦楽器は飛鳥ストリングス、ピアノは重美徹で、溝口肇の名はない。編曲のみなのだった。

 しかしこのストリングス・アレンジは美しく気持ち良い。聴いていた時期が春先で、進学が決まり、日々暖かくなっていくという中だったので、この先に伸びていく道はきっと暗いものではない、という気に拍車をかけてくれた、演出してくれたようなそんな曲。

 オリジナルの、機械的なリズムにチャカの声が乗っかるバージョンもかなり好きなのだが。そう、本アルバム収録のはインストなのです。

 でもこの曲はマンスリー・ソングではない。何かしらサウンド・ストリート絡みで作られたバージョンなのだろうか。今にして知る由もなし。

 

f:id:yokohama-record:20210703015419j:plain

歌詞の上に描かれた線画がまた、とても高尚に感じられる。

 

ご贔屓たちは当時も今も思ってる、「PSY・Sの評価は低すぎる」

 

 松浦雅也サウンド・ストリート、マンスリー・ソングを集めたこの1枚。かなりの傑作だと思っている。番組でこの企画を立ち上げたのはまだデビュー1年ほどの頃。ソニー系のアーチストを中心に、それでも松浦氏こだわりの人選で作られていった曲たちなのだろう。

 残念なのは、1986年12月のマンスリー・ソングであるSIONとの「冬の街は」が収録されていないこと。この曲も無二の出来栄えなのだが、当時はレコード会社との関係で入らなかったらしい。ただのちに、PSY・Sのライブを集めた『TWO SPIRITS』ではライブ・ヴァージョンが収められた。

 基本、打ち込みの松浦氏がコラボでまとめたアルバムだ。当時、シンセを操る人はどちらかと言えば没入型で、他人との接触が苦手というタイプの人が多かった。おそらく、松浦氏もどちらかと言えばそうだったのではないかと思う。

 でも、その後のPSY・Sの仕事を見ていくと、そんなことは全然ないのだ。

 デビュー当初は打ち込みサウンドテクノ系ユニットに分類されるのだろうが、その後はアルバムごとにコンセプトや手法を変えていき、ときにはアコースティックでアルバム1枚を完成させたりもしている。

 また、レコーディングでは松浦氏の打ち込み中心でも、ライブでは「LIVE PSY・S」と称して、すべてバンド・メンバーの生演奏ということを基本としてステージを行ったりもしていた。ちなみにライブでの振り付けは南流石で、本人もほとんどメンバーの一員として踊っていた。

 多くの試みを見せてくれたPSY・Sも、10年でピリオドを打つ。天才・松浦と超絶ボーカル・チャカのユニットは、それほどのセールスには至らなかった。

「Friends or Lovers」や「電気とミント」、「Angel Night~天使のいる場所」といったヒット曲はあったが、世間の評価はその実力にはまったく伴っていない。

 時代がPSY・Sに追いつけなかった、という説もある。

 純粋に音楽的な評価が得られなかった。ビジュアルも含めたセールス・ポイントのプラス・アルファが足りなかった、という声もある。

 レコード会社のソニーに、PSY・Sの売り方がわからなかった、などというまことしやかな風説まで聞こえてくる。

 そんなことはどうでもよろしい。アルバムを通して誠実に聴けば、PSY・Sの唯一無二な音世界が分かるはずなのだ。

 まあ、セールスだけがものさしではない。いやむしろ、セールスというものさしを過信してしまえば、見えてこなくなってしまうもののほうが多いかも。

 今でもPSY・Sのアルバムは入手可能。一度じっくりと聴いてみてほしいものだ。自分の耳に素直に従うことが一番。

 最後にひとつ。PSY・S解散後の松浦氏の仕事として最も知られているのが「パラッパラッパー」だ。いわゆる音ゲーのひとつのスタイルを確立した「作品」としてその名を残している。

 このゲームを企画したのが松浦氏なのである。もちろん音楽も担当しているが、企画し、プロデュースしているわけだから、松浦氏の「作品」といっても何の問題もないのだ。

 PlayStationのソフトとして発売されたのが1996年、つまりPSY・S解散の翌年だ。パラッパやりたくてプレステ買った友人を私は何人か知っている。私もこのゲームにはハマった。

 ゲームの面白さはもちろんのこと、ロドニーの描くキャラクターの愛らしさ、そしてペラペラな彼ら。何もかもが規格外で唸らされたものだ。

 そして何と言っても音楽の完成度の高さ。ミュージシャンである松浦氏だけに、ここは本領発揮。曲だけ聴いていても心踊るのだ。私はこのサントラも購入して、よく聴いていた。

 その後の松浦氏はどちらかというとゲーム業界のほうで活躍するようになる。チャカはジャズ・ボーカリストとして活動を続けている。それを思うと、PSY・Sの10年間は、奇跡のような時間であったのだと改めて思う。残された財産はいつまでも触れることができる。今後もPSY・Sを聴き続けるだろう、私は。

 

 

 

 

 

 

 

#007『461 Ocean Boulevard』Eric Clapton(1974)

 

f:id:yokohama-record:20210611170329j:plain

「赤札」(NICE PRICE)は10代の貧乏人には救いの色だった。これで何枚の名盤を手に入れられたか。


『461 オーシャン・ブルーヴァード』エリック・クラプトン

 

sideA

1. Motherless Children(マザーレス・チルドレン)

2. Better Make It Through Today(ベター・メイク・イット・スルー・トゥディ)

3. Willie and the Hand Jive(ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ)

4. Get Ready(ゲット・レディ)

5. I Shot the Sheriff(アイ・ショット・ザ・シェリフ)

sideB

6. I Can’t Hold On(アイ・キャント・ホールド・オン)

7. Please Be with Me(プリーズ・ビー・ウィズ・ミー)

8. Let It Grow(レット・イット・グロウ)

9. Steady Rollin’ Man(スティディ・ローリン・マン)

10. Mainline Florida(メインライン・フロリダ)

 

 

[Recording Musicians]

Guitar, Vocal, Dobro : Eric Clapton

Guitar : George Terry

Piano, ARP Synthesizer, Clavichord : Albhy Gluten

Organ, Keyboards : Dick Sims

Bass : Carl Radle

Drums : Jamie Oldaker, Jim Fox

Vocal : Yvonne Ellian, Tom Bernfeld

 

Produced by Tom Dowd

 

 

 

 

レイド・バックという言葉を先に知って、クラプトンに入り込んでいった

 

 エリック・クラプトンは何度も山を作ってきて、谷に落ち込んだギタリストと言えるかもしれない。ヤードバーズやクリームの若き日の栄光。薬物中毒でどん底を見て、その後1970年代中盤からの復活。1980年代は評価が分かれる。チャートにも登場するポップ・アーティストとして知る人も多いだろう。1990年代は幼子を亡くしたあとの悲しみのアンプラグド。そしてその後のブルースへの回帰。世代によってどの時代が核になるかが大いに異なり、だからこそ実に幅広い世代に聴かれているアーティストなのである。

 私の場合は、導入は桑田佳祐だった。

 1980年、中学生になった私は洋邦問わず貪欲にポップ、ロックのサウンドを求めはじめていた。その中心はラジオだった。レンタル・レコードはまだ黎明期で日本国内にごくわずかしかない。さりとてそうそうレコードは買えない。そうなるとラジオに頼るしかなかったのだ。

 当時のFMはステレオがだった。AMはモノラルだった。AMステレオ化はまだまだ先の話。それでもAMには個性的なDJの番組が多く、流行りの曲もよく流れたのでかなり聞いていた。FMは番組表を事前にチェックして、聴きたい(エア・チェックしたい)番組をピンポイントで聴いていた。

 当時、FEN(Far East Network=米軍極東放送網・今はAFNという)が関東では周波数810MHZで流れていた。FENに関してはいずれ項を改めてじっくりと思い出してみたいものだが、簡単に言えば在日米軍向けのラジオである。米国本土で番組をレコード化して空輸され、電波に乗せられていた。だから米国の音楽情報に何よりも早く触れることができる、洋楽ファンには捨て置けない放送局だったのである。

 だがいかんせん全編英語。話してることはほとんどわからず、流される曲を、ほとんど知らない曲をただひたすら聴いていた。

 ラジオ熱はさらに加速して、とうとう短波放送にまで手を出した。たまたま家にかなり立派な短波ラジオがあり、夜中にダイヤルをゆっくりと回して海外の放送局を探るのが楽しかった(夜のほうが遠くの電波を掴みやすい傾向があるのだ)。ハングルの放送はよく入ったが、ある晩ロシア語の放送をノイズの中にも受信した。そしてその放送局に受信確認の手紙を送ったのだった。

 なぜロシア語なのに放送局がわかったのかというと、当時は短波ラジオ専門誌があって、それを本屋で立ち読みしながら受信した周波数のメモと照らし合わせて、受信局を探り当てたのだ。

 なぜ手紙を出したのかというと、ベリカード(受信確認証)が欲しかったから。受信日時と簡単な放送内容を記して送ると、その放送局のベリカードを送ってもらえたのだ。専門誌には各国の放送局のベリカードを集めた特集などもあって、私もチャレンジしてみたくなったのである。その放送局のベリカードはきちんと届きました。中1の自分が自力で世界と繋がった気がして、その後しばらくはそのベリカードを眺めてはニタニタしていたのだった。

 ちなみにこのベリカードは、基本的には今普通に聞いているラジオ局でも発行しているところが多い。各局のキャラクターなどがデザインされたりと、集めはじめるとハマりそうだ。一部のテレビ局も出しているところがある。

 大いに話がズレ込んだ。

 中1の頃の確か木曜20時、いや月曜だったか、文化放送で「桑田だセーラーマン」という番組を放送していた。DJはもちろん桑田佳祐。まだサザンがビッグ・ネームでなかった頃。桑田も大学生気分が抜けきれていないような時期。自身の趣味の音楽を中心に流していて、そこで初めて出会ったアーティストも多かった。ボズ・スキャッグスEW&Fや、はたまた今剛まで。

 そしてある日の放送でクラプトンの「Let It Grow」が流れた。初めて聴いたときはおそらく相当に衝撃があったのだと思う。でも曲名を覚えておらず、この曲に再会してタイトルを知るのはかなりあとだ。それでもこの曲はずっと頭の中に残り、流れていた。

 またそれと同じ頃、ニッポン放送の23時台の平日15分の帯番組(だったはず)に「桑田くんと関口くん」という番組があり、タイトル・バックで流れていたのがクラプトンの「Wonderful Tonight」だった。関口くんというのはサザンのベースの関口和之。これも曲名とアーティスト名を知ったのは少しあとのこと。中1の23時台はもう深夜。布団に入って薄闇の中で聴く「Wonderful Tonight」に、冥界に入って行くような、とろりとしたような感覚に陥ったことを何となく覚えている。

 つまりこれらは音楽に目覚めた私の黎明期に蒔かれたタネみたいなものだ。

 桑田はこの頃ラジオでやたらと「レイド・バック」と言っていて、意味は分からずとも何となくこんな意味なのではないかなと想像しつつ、レイド・バック気分に浸っていた。意味は「のんびり」とか「ゆったり」です。

 なおこの1980年の夏にサザンは「わすれじのレイドバック」というシングルをリリースしている。カントリー調のせつない曲で、全然売れなかったけど好きな曲だった。

 で、当のクラプトンに出会うのは中学の終わり頃。もちろんそこに至るまでの「ロックの勉強」でエリック・クラプトンがどういう人で代表曲はこれとこれ、といった知識はあった。最初に手にしたのはソロになってからの1970年代のBEST ALBUM『Timeless Pieces』。最後に「Let It Grow」が収録されていて、「ああ、ようやく出会えた」とここでもやはりうち震えた。

 そして高校に入ってすぐの頃に『461 Ocean Boulevard』を買ったのだった。渋谷のタワーレコードで輸入盤。当時はまだ今のビルではなく、東急ハンズのちょっと奥の雑居ビルにタワーはあった。1階は「jeans mate」。ともにその頃は駆け出しの店だったが、今は双方業界をリードする存在になったな。向かいにあった吉野家にもよく寄った。

 すでにその頃、本アルバムは赤札の「Nice Price」だった。「Nice Price」、魅惑的な響きだ。輸入盤は、ロック・クラシックのアルバムを値引きして販売していたので、それを狙ってアルバムを吟味したものだ。大概の名盤は「Nice Price」であった。

 アルバム・タイトルの『461 Ocean Boulevard』とはマイアミに実在する(していた)住所で、クラプトンの自宅という説とスタジオという説がある。

 

 

 

なるほど、これがレイド・バックなのだなと身体のほうが理解した

 

 軽快なギターリフに跳ねるようなドラムが飛び込んでくる。そして軽いうねりを持ったボトル・ネックのフレーズが絡む。A面1曲目「Motherless Children」のイントロだ。アップ・テンポで軽妙なブルース・ロック。クラプトンのボーカルも無理ない程度のシャウトが時折入るようなソフトな唱法で、さらっとしている。

 

 Motherless children have a hard time when mother is dead, lord

 母のない子は苦難の道をゆく

 

 曲調のわりにシビアな歌詞の曲なのである。そのあとに「だから父は頑張る」、「姉も頑張る」と続く。クレジットには「Traditional」とある。

 次の曲がちょっと曰くあり。私の持ってるアルバムでは「Better Make It Through Today」なのだが、大概の盤は「Give Me Strength」なのだ。で、どちらが正解かというと、後者である。なぜこんなことが? と調べると、1975年に発売されたUS盤でこの2曲目がすり替わったという。「Better Make It Through Today」は翌年発表されたアルバム『There’s One in Every Crowd』に収録されている曲だ。では何故そのようなことになったのかというと、よく分からない。レコード会社の何らかの思惑なのだろう。

「Give Me Strength」はドブロ・ギターの個性的な音色とオルガンが印象的なカントリー・バラードの小曲。「Better Make It Through Today」もやはりアコギとオルガンのバラードなのだが、こちらのほうがちょっとせつない。間奏のソロはこれぞクラプトンと言えるスロー・ハンド。クラプトンのしわがれた声とオルガンが絡んで孤高感たっぷり。ともにクラプトン作。

 ストラトのカッティングが実に心地よい「Willie and the Hand Jive」は身体が揺れる。ボ・ディドリーのレゲエといった感じ。レイド・バック感満載。ある意味この時期のクラプトンの気分をよりよく表している曲かも。Johnny Otis作。

「Get Ready」はワン・コードのブルースと言えるか。ちょっと不安な空気感でYvonne Ellianとクラプトンが「Get Ready」と繰り返す。ソロらしいソロもなく、突然のように終わったあと「アハハハ」と(おそらく)クラプトンの笑い声が収まっている。二人の共作。

 そしてA面最後にBob Marleyの「I Shot the Sheriff」。この頃、レゲエが世界的に流行りはじめていたという。しかし復活クラプトンが歌うとは誰も想像できなかったのではないか。ましてや彼の代表曲のひとつになるなどとは。

 アレンジはBob Marleyのオリジナルに限りなく近い。それでも双方の楽曲の印象は相当に異なる。その一因はMIXにあると思う。Bob Marleyのほうは各楽器、かなり生々しく響いている。それだけにトレンチタウンの熱風や匂いを強く感じさせてくれる。一方のクラプトンのほうは、整っており洗練されている、まとまっている。このあたりはやはり録音技術スタッフの好みや個性、技術レベルが現れているのだろう。

 だからどちらが上とか下とかではない。私は両方好きだ。聴き比べて楽しめる。同じ曲で違う土地を旅している気になる。

 そして一番感じるのは、クラプトンの声域にこの曲はドンピシャはまっているのではないかという点。低音も高音もシャウトもすべてに無理が感じられず、ボーカルによどみがない。スムースに出ている。だからきっと、本人は歌っていてとても気持ちよかったのではないかと思う。それもこの曲のよさを引き出した大きな要因だったと思う。聴いているほうも気持ちいい。

 

 

この曲順のままライブで聴きたいと思うほど耳に馴染んだB面

 

 B面最初は偉大なるブルース・ギタリスト、Elmore Jamesの「I Can’t Hold On」から。スリー・コードのミドル・テンポのブルース。Elmore Jamesと言えばボトル・ネック奏法ということで、クラプトンも披露。本アルバムは総じてボトル・ネックの使用率が高い。

 次はカントリー調の「Please Be with Me」。これまた気分はレイド・バック。オールマンブラザーズバンドなどをサポートしたこともあるCharles Scott Boyer作。日本ではほとんど知られていない人。

 そして本アルバムで私にとっての最重要曲である「Let It Grow」。すでに聴いていたBEST ALBUM『Timeless Pieces』では最後に収まっていたのでその印象が強く、初めはB面3曲目という位置に違和感を感じた。だが、それもほどなく解消。次とその次への流れがたまらなくなったのである。それはまたあとで。

 

 Standing at the crossroads

 Trying to read the signs to tell me which way I should go

 to find the answer and all the time I know

 Plant your love and let it grow

 

 Let it grow, let it grow

 Let it blossom, let it flow

 In the sun, the rain, the snow

 Love is lovely, let it grow

 

 Time is getting shorter and there’s much for you to do

 Only ask and you will get what you are needing

 The rest is up to you

 Plant your love and let it grow

 

 Let it grow, let it grow

 Let it blossom, let it flow

 In the sun, the rain, the snow

 Love is lovely, let it grow

 

 愛を育てていこう、どんな過酷な状況にあっても(意訳)、というシンプルな歌詞なのだが、クラプトンはぼそぼそとした歯切れの悪い口調で歌う。それがこの曲の味わい。決してボーカルとも言えない、内向的な囁き。薬物中毒から立ち直りつつある時期ということも含めて考えると、かなり赤裸々な歌なのだ。悲しくも心は明るい兆しを得て、そこへと歩んでいきたいという意志を感じさせる楽曲なのである。

 この曲はLed Zeppelinの「天国への階段」と似てる、とよく言われる。ともに後半部分の半音ずつベース音が下がるあたりが極似しているというのだ。

 キーは異なるものの、その通り。ほぼ同じ。で、発表された時期もこれまたほぼ同じ。さりとて、お互いに示し合わせているとは到底思えない。同じ時期に同じフレーズ、アレンジが降りてきたとしか言いようがない。

 だが、そこに当てられたコードはまったく違っている。「天国への階段」のほうは素直にコードを当てているが、「Let It Grow」はちょっとひねててそれでいて唸らせられるようなコード進行となっている。そしてエンディングではそれが無限ループ。聴いていてもギターを弾いていても、トランス状態の手前にまで持っていかれる。トランス。薬物。クラプトンの体はまだ戻ってきてはいなかったのか。

 などと妄想が尽きない。とは言え、男の哀愁がたっぷりと注ぎ込まれたバラードは1970年代を代表する楽曲と言ってもいいだろう。

 一転、今度はクラプトンが敬愛するブルース・ギタリスト、Robert Johnsonの「Steady Rollin’ Man」のピアノのイントロ。本作の中では一番ブルース色の濃い曲と言えるが、ミドル・テンポなのでロックっぽくもある。「Let It Grow」のあとを軽くいなせるのはこんなタッチの曲しかない。両方とも映える。ちなみにRobert Johnsonのオリジナルは、ベタベタのブルース。

 ラストは「Mainline Florida」半音ずつ上がるギター・リフがたまらない。ここでもまたクラプトンは熱唱しない。「Motherless Children」同様、軽快でノリのいい曲なのだが、クラプトンのボーカルは力が入っていない。これもまたレイド・バック。サビ以外はギター・リフが延々ループしているのだが、これが気持ちいい。電子系の音のループではなく、ストラトのリフのループだ。キレキレだ。

 以上39分。レイド・バックでだれた印象を与えがちなアルバムだが、通して聴けばバラエティに富み、演奏も相当にレベルが高い。最初と最後はノリのいい曲という、世評とは少し異なることがわかっていただけるだろう。だから一度通して聴いてみてもらいたいのだ。

 

f:id:yokohama-record:20210611170614j:plain

裏と表で建物がつながっているんですね。その両脇にクラプトンがいる。



 

なんども針を落とし、なんども弾いて、悦に入った1枚

 

 本アルバムは10代の後半にもっとも聴いた。楽曲そのものを楽しむのはもちろんのこと、一番ギターのコピーをしたアルバムでもある。

 中学でアコギ、高校に入ってバイトして貯まったお金で最初に買ったのがエレキだった。中学時代はほとんどコードを覚え、抑え、弾きながら歌うことに終始した。エレキ購入後はいわゆるTAB譜の付いている譜面を見ながらフレーズやリフを覚えた。TAB譜というのは五線譜ならぬ六線譜、つまりギターの弦がそのまま譜面となっているもので、どの弦のどのフレットを抑えるかが線上に指番号の数字で置かれているというもの。だから一目瞭然。譜面通り、レコード通りにギターのフレーズを覚える完全コピー、いわゆる完コピすることが喜びであり、達成感なのだった。

 だが、ブルースやR&Bを聴いていくうちに、インプロヴィゼーション、即興演奏に興味を持った。興味というか、思いつきでギターのフレーズが弾けるようになりたいと思ったのだった。

 その教材としてうってつけだったのが、クラプトンの曲たちだった。

 3コードで自由に弾く、ブルーノート・スケールやペンタトニック・スケールを知り、それをマスターすると格段に「それっぽく」弾けるようになった。そこから発展して、たくさんのレコードでギター・プレイを聴いてフレーズの引き出しを増やしていった。

 そうしたベーズができて、『461 Ocean Boulevard』の各曲のリフや肝のフレーズはきちんと練習してマスターして、一部即効演奏など交えて合わせて弾くのが楽しかった。

 ここに収められた10曲すべて、おそらく今でも弾ける。

「Motherless Children」や「Mainline Florida」で疾走感を楽しみ、「Get Ready」や「Steady Rollin’ Man」では思うまま好きに指を動かす。「Willie and the Hand Jive」ではそれこそレイド・バックを堪能する。「I Shot the Sheriff」はギターを持てばいまだにウォーミングアップがてらカッティングする。レゲエはもはやカリブのみにあらず。

「Let It Grow」はもう、私にとって永遠だな。聴くのも弾くのも。

「スロー・ハンド」の異名をとったクラプトン。早弾きではないのだ。だから初級から中級へ向かうあたりで弾くにはうってつけだった。

 だけど、音符通り弾けるようになったとしても、そこから「味」を出すためには、これは単に弾けるようになるよりもはるかに難しい。「間違えずに弾けるようになった」から「味わいのあるフレーズを醸せる」に至る道は険しく遠い。だから何度でも繰り返し弾く。上手いとか下手とかではなく、弾いていて楽しければそれでもいいのである。そのうちに味わいが出てくる。

 クラプトンの曲は本アルバムのみならず、実に多くの時代の曲をコピーした。Blues Breakers、Yardbirds、Derek and Dominos、そしてソロ作品と。でも、アルバム1枚丸ごと練習したのは本アルバムだけだった、多分。そんなこともあって、愛着のある1枚なのである。A1からB5までずっと弾いているのである。悦に入る、というのはまったくこんなときなのだ。

 

 

 

 

 

#006『BLUE』RCサクセション(1981)

f:id:yokohama-record:20210530110232j:plain

あったはずのLPが見当たらない、どこに行ったんだ! 見つけたら撮影して差し替えます。それまでは拝借したジャケ写で。

 

『ブルー』RCサクセション

 

sideA

1. ロックン・ロール・ショー

2. Johnny Blue

3. 多摩蘭坂

4. ガ・ガ・ガ・ガ・ガ

sideB

5. まぼろし

6. チャンスは今夜

7. よそ者

8. あの娘のレター

 

[RC SUCCESSION]

忌野清志郎 : ボーカル、ギター

仲井戸麗市 : ギター、ボーカル

小林和生 : ベース、コーラス

新井田耕造 : ドラムス

G2 : キーボード

 

[BLUE DAY HORNS]

梅津和時 : アルトサックス

片山広明 : テナーサックス

安田伸二 : トランペット

佐藤春樹 : トロンボーン

板谷博 : トロンボーン

 

Produced by RC SUCCESSION

 

 

 

 

人間関係の難しさを実感しはじめた年頃に染みたアルバム

 

 この項を書きはじめた今日は5月2日。忌野清志郎の命日である。しかも今年は十三回忌だ。私の父親が亡くなったのと同じ、2009年だった。その日、わが町はどんよりと曇っていたと記憶している。ソファでウトウトしていると、つけっぱなしのテレビのニュースから漏れ聞こえた逝去の報にバチっと目が覚めた。そしてしばらく微動だにできなかった。

 RCを初めて耳にしたのは中学1年、ラジオから流れてきた「トランジスタ・ラジオ」。このシングルだか、収録されているアルバム『Please』だったか、ライブの告知かは覚えていないが、この曲を流したラジオCMも何度も聞いた。「おー授業をサボって、陽のあたる場所にいたんだよ」の冒頭歌詞が頭にこびりついた。

 だがRCの名前もそのいでたちもそのとき既に知っていた。彼らのムーブメントを伝えるメディアは当時にしても少なくなかった。まだスレてない中1に、清志郎のメイクと衣装は衝撃的だった。当時はこれに拒否反応を起こした人が少なくなかったと思う。私もスムーズに受け入れられたわけではなかったが、でもその音を聴いてちょっと見方が変わった。

 中2になってほどなく『EPLP』というベスト盤が出て、これは必聴と思ったが、買おうという気持ちにもならない。中坊にとってLPは高額商品で、「これこそは」と吟味に吟味を重ねて年に2~3枚買えれば御の字、くらいな感じだ。

 だがこのLPを買ってもらったという友だちがいた。頼み込んでテープを渡して録音してもらったのだった。

 ギンギンで派手派手でうるさいロックンロール、のような扱いを受けていたRCだったが、実際に聴いているとどうもそれだけではない。でもそれが何だかが説明できない、というのが当時の私。少しあと、音楽的知識が増えていった頃に「なるほど」と納得する。清志郎のベースにソウル・ミュージックやR&Bが大きく住みついていたからだ。ソウルという音楽ジャンルがあることは知っていたが、それに対する深い理解など当時はなかったのだ。けれども、不平不満をただまくしたてるだけの未熟な音楽ではなく、根太いルーツの元に生み出された曲たちなのだと漠然と思ったりしていた。

 いや、前書きが長くなった。RCに関しては、清志郎に関してはそのときどきで多くの衝撃や示唆を受け、言及したいことが多いのだが、ここは名盤に絞っていかねば。

 新体制RCの挨拶がわりの1枚であるライブ・アルバム、『RHAPSODY』を必聴アルバムとして挙げる方が多いと思う。頷ける。これも名盤であり、日本のロック史における革命的1枚であることは間違いない。だが、極私的がモットーのこの「名盤アワー」。外せないアルバムの多いRCの作品群から選んだのは1981年11月に発売された『BLUE』である。

『RHAPSODY』以降、破竹の勢いで日本の音楽界を席巻したRCは先にも触れたオリジナル・アルバムである『Please』、新体制でのシングル集である『EPLP』と短いインターバルで立て続けにアルバムをリリースしていた。

『Please』にも佳曲が揃っているのだが、あまりグッとこなかった。何故か。それが今回この項を書くにあたって資料を探っていてわかったことがあった。どうやらエンジニアリングの問題らしい。そう言われると腑に落ちる部分もある。ロック本来のインパクトや高揚感が『Please』では殺がれているという印象は、そこにあったのかもしれない。それはRCのメンバーも感じていたらしく、そのため『BLUE』では「一発録り」でのレコーディングを行うことによって、勢いやノリを封じ込めようとしたという。

 本作は発表から数ヶ月経ってから通して聴いた。

 ちょうど中学3年に上がる頃で、そのくらいの年齢になると人間関係やら自分の置かれている環境やらに頭を悩ませることもある。そういう不安定な精神状態の頃によく聴いた。だから内省的な曲により強く反応したし、それは今でもその曲を聴けばそのときの気持ちに立ち返ることができるくらい心身に刷り込まれている。「まぼろし」だったり「よそ者」だったり。だからやはり極私的な1枚なのかも知れない。

 ほぼ一発録りで、収録された曲のほとんどが以前から既にライブで演奏されていたり、書き溜められていた曲である。その意味では『RHAPSODY』と似たような毛色のアルバムとも言えるかも知れない。異なっているのはブレイク前か後かという点か。

 ともあれ、私のミドルティーン時代の幼い負の感情をこのアルバムが封印しているわけなのである。単に「ロックンロール」と叫べない情緒を盛り込んでいる作品なのだ。それだけに、今聴いても身が捩れる。15の若き葛藤と胸苦しさが蘇ってくる。

 

 

重いビートではじまるとは思ってもいなかった

 

 軽快なロックンロール、がRCと思っていたところ、本アルバムの1曲目「ロックン・ロール・ショー」はフロアタムとバスドラの重いビートから幕を開ける。そこにチャボの歪ませた低音リフとベースが重なって、かなりヘビーなチューン。当時の私はちょっと意表をつかれてしまった。こんなに不穏な曲、こんなはじまり、これがRCかね。と身構えさえしてしまった。でも、カッコいい。そんな印象だった。

 

 おー神様、あの娘とぶっ飛んでいたい

 おーかっかっ神様、でも目を覚ませばステージの上

 役立たずの神様、ハードロックが大好き

 

 そしてこの曲からはじまる『BLUE』というアルバムは、ラストまで私を引っ張り込んでしまうのだった。

 2曲目の「Johnny Blue」はシンプルなギターのリフで上げてくれるロック・ポップチューン。原曲はチャボの前所属である「古井戸」の「飲んだくれジョニー」。清志郎とチャボの共作である。中学生の私はこの歌詞にあるロック・バンドのツアー生活というものに大いに憧れたものである。

 

 舞台袖に酒がしこたま用意され

 のんだくれジョニーが舞台へ出てく

 彼女のうたを2人のために

 ブルースをブルースを あいつは今夜もやるのさ

 

 この「ブルースを~」の部分がいい。歌詞を読んでいくと、どうもそれほど大きくないライブハウスのような箱で、酒を呑みながらステージで歌い、演奏するという感じだが、私は当時はRCそのものを投影して、日本全国旅から旅で毎晩ステージに上がる姿をイメージしていた。そういうものに私はなりたい、とこの頃は思っていた。叶わなかったけどな。

 A面の核となるのは次の「多摩蘭坂」だろう。アコギのアルペジオからはじまるバラードだが、サビから間奏へ向かって劇的な展開の曲である。最近改めて聴いてみると、その構成は意外にもレッド・ツェッペリンの「天国への階段」にちょっと似てると思った。もっともツェッペリンのほうは10分近い大作で、こちらは3分ちょっとの小曲だ。しかし、そう意識すると、そう思える。この曲もブレイクするよりもかなり以前に清志郎が書いたものである。

 

 多摩蘭坂を登り切る手前の坂の

 途中の家を借りて住んでる

 だけどどうも苦手さ こんな夜は

 

 この多摩蘭坂というのは実際にあって、清志郎が売れずにくすぶっていた一時期にこの途中のアパートに住んでいた、というのは有名な話。行政区画では国分寺市になるが、坂の下のほうは国立市、上のほうは府中市という市境が混んでいるところにある。急坂ではないが、だらだらとした傾斜の坂がいつ果てるかも知らず続いている。

 清志郎が亡くなって1ヶ月ほど経った頃、この坂を歩いた。清志郎が住んでいたあたりの坂の路地には、たくさんの花が手向けられていた。6月の暑い日だった。

 A面ラストは「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」。そうこのアルバム、A面4曲、B面4曲の計8曲しか入ってない。超がつくほどの多忙な時期で、曲など作っている暇がないから過去の未発表曲を引っ張り出してきてなんとか1枚にまとめたという。勢いのある間にできるだけたくさんのアルバムを発表させたかった、というのがレコード会社の目論見か。ミドルテンポのライト・ヘビーなロックといったこの曲は、ステージではなかなか映える。クレジットはG忌麗で、つまりG2と清志郎とチャボの共作。高速道路がオイラの屋根、と歌ってる。部屋も持たない日雇いの歌なのか。

 

 

B面こそが本作の本作たる所以、感傷が溢れかえってたまらんのです

 

 私の『BLUE』はB面の1、3に尽きる、と言ってもいいほどにこの2曲には多くのものが封印されている。曲順通りではなくなるが、まずはそこを言及したい。

 まずはB面1曲目の「まぼろし」の歌詞を。

 

 ぼくの理解者は 行ってしまった

 もう ずいぶんまえの 忘れそうな事さ

 あとは だれも わかってはくれない

 ずいぶん ずいぶん ずいぶん長い間

 ひとりにされています

 

 だれか友達を あたえて下さい

 何度も 裏切られたり 失望させられたままのぼくに

 そしたら ぼくの 部屋にいっしょに連れて帰る

 幾晩も 幾晩も 幾晩もの間

 枕を濡らしました

 

 ぼくの心は 傷つきやすいのさ

 ぼくは 裸足で 歩いて部屋に戻る

 だから 早く 近くに来て下さい

 いつだって いつだって 昼も夜もわからず

 まぼろしに追われています

 

 この曲もまったく売れない頃に清志郎がアパートの一室で書いたものという。「ぼくの理解者は行ってしまった」、「だれか友達をあたえて下さい」、「ぼくの心は傷つきやすいのさ」と孤独の真っ只中、先の見通しもなく、気持ちは負のスパイラルをくるくると落ち込んでいくかの如く。実際は自殺した友人のことを歌ったという。

 この清志郎の当時の状況を思えば、15の私の孤独感はある種ティーンエイジャー特有のセンチメンタリズムだったかもしれない。感傷主義的なナルシズムというか。しかしそれは結果であって、実際に人間関係のこじれがあって生まれる感情であるから、そこを耐えるために歌に感情移入するというのも、ひとつの効果的な方法だったのではとも思う。それが多分に詰まってるのが『BLUE』のB面なのだ。

 サウンドもまたこの詞の幅を広げてくれている。

 イントロのサックスが切ない。1番は左右に揺れるエレピと、2拍目、4拍目のハイファット。浮遊感漂うバックに清志郎の振り絞りつつも伸びるボーカル。

 2番からギターの歯切れのいいカッティング、ベース、ドラムが入る。ボーカルの裏には歌うようなサックス。間奏の狂い泣きのようなギター・ソロ。RCでのチャボのギター・ソロの中では出色と言っていい。

 3番からはタイトな8ビートのドラムとベース。エレピもコードを叩くようになる。

 どんどんと音数が多くなり、音圧をかけてくる。はじまりはゆっくりと歩いていたのが、最後は全速力。サビらしいサビもない、いわばカノンのような構成の曲だ。

 この曲の一番の肝は、「行ってしまった」の部分のコード、GM7。キーはD。そこにGではなくGM7としたことで、行き場のない浮遊した空気を醸している。清志郎はただのパフォーマーでもロックンローラーでもソウルマンというだけではなく、ソングライターであることを証明している。不遇時代の名作、「ヒッピーに捧ぐ」にも似た虚無感を表現している。

 そしてB-3の「よそ者」。哀愁漂うアルペジオにぶっといギターの低音リフが入ってくる。3連のロッカ・バラードなのだが、そこはやはり清志郎節でソウルフルなのだ。

 

 俺たちよそ者 何処に行ったって

 だからさ そんなに

 親切にしてくれなくてもいいのに

 

 いつの日 どこかに 落ち着くことができる

 そんな夢を見ながら

 今夜ここで 踊るだけでいいのに

 

 踊れば揺れる 胸に降る

 かなしさ どのくらいかなんて

 おいら知らない けむる港町

 

 最後のバラードまで そばにいてくれる

 ほんとさ それだけで 感謝してる

 oh baby 心から

 

 この曲に関しては雑誌「bridge」の1995年のインタビューで「歌謡曲の作詞の本を持って」いて、それを見ながら書いたと言っている。それは「けむる港町」であり、「踊れば揺れる」であり、「最後のバラードまで」あたりではないかと、うろ覚えの記憶の中からも自身がそう答えている。

 なるほど。しかしそれでいてきちんと清志郎節。ブルースになってる。

 さらに清志郎は、シャレで歌謡曲風に作った歌詞だったから、最初はあまり好きではなかったという。でもチャボやリンコはとても気に入っていたと。

 当時のチャボのアパートで清志郎とチャボと古井戸のオリジナル・メンバーである奥津光洋の3人で作った曲。

 おそらく15の私にとってこの歌詞は背伸びしてわかる範囲の世界でありつつ、切ないロッカ・バラードだったということに当時惹かれたのではないか、と考えている。その歌詞が「歌謡曲」のように書かれたことも、分かりやすさと背伸びのしやすさの一因だったのかもしれない。

 とにかくこの2曲は本当によく聴いた。聴きながらひたすらインナー・ワールドへと渦巻かれていったのだった。

 B面2曲目はチャボがRCで初めてリード・ボーカルを取る「チャンスは今夜」。もうこれは王道中の王道ロックン・ロール。ほぼチャック・ベリー。それだけにライブでは必ず盛り上がるナンバーだ。清志郎とチャボの共作で、歌詞はなんてことない、バンド・マンたちの夜の悪さの話。でも「チェック、チェック、チェック、トゥナイト、ツアーは続くチャンスは今夜~」は理屈なしに腰が動く。

 アルバム最後は「あの娘のレター」。ミドル・テンポのR&B。「シャラララ、レター、シャラララ、ウォウウォー」というイントロに身体が揺らぐ。この歌詞カードには一部墨で潰された伏せ字があり、レコードではノイズで消される。「ポリ公」という表現が差別用語でとのこと。ノイズ含みのままレコード化されてるってことにも、当時は新鮮な衝撃を受けてた。今でもそんなのはないか。この曲も清志郎とチャボの共作。

 で、この曲、当時サントリーのトロピカル・ドリンクのCMに使われていたのだけれど、これがまったく別物メロディ、別物アレンジ。「退屈なこの国にエアメイルが届く」という冒頭部分だけがCMで使われていたと記憶するが、本作に収録されたこの曲を最初に聞いたときは「エッ」と驚いた。全然違う。私はCMのメロディと雰囲気が気に入っていたので、それを期待して聴いていたのだから、ちょっとガックリしたもんだ。

 でも本作バージョンも聴きこむうちに染みてきた。大人なR&Bなのである。CMバージョンは結局未だ発表されておらず、ホント「まぼろし」の1曲なのです。

 

 

誠実で正直だからこその破天荒、「これでいいのだ」と思わせてくれた

 

 1980年代前半のRCは言葉通り日本において「King of Rock」だった。とりわけそのステージ・パフォーマンスのかつてないド派手さと、コール・アンド・レスポンスの一体感はそれまでのジャパニーズ・ロックのフォーマットを大きく書き換えたと言える。さらにそれは未だ唯一無二。清志郎は自分のやりたい通りにやってきただけ、と言うであろうが、それがなかなかできないのが世間というもの。

 やりたいことをやる、という姿勢の、その象徴的な「事件」はやはり1988年のアルバム「Covers」の発売中止だった。事件を知らない世代に簡単に説明すると、当時RCは洋楽の名曲に清志郎の訳詞をつけて1枚のアルバムを製作した。だが、その訳は厳密には訳ではなく、清志郎の「妙訳」であり、それらがことごとく反核、反原発、ポリティカル・メッセージだったので、当時所属のレコード会社、東芝EMIが「素晴らしすぎて出せません」と新聞広告を打って発売中止となった。東芝原発事業も手がけている。そこで清志郎はこのアルバムを古巣であるキティ・レコードに持ち込み、発表した。

 思えばここがすべての大きな転機となった。

「Covers」について清志郎以外のメンバーは、その政治色にあまりいい顔をしていなかったという。ほどなくドラムの新井田耕造とG2が脱退。RC自体も2年後に解散。

 清志郎もそのような活動はRCではできないと踏んだのか、覆面バンド・タイマーズを結成して、言いたいことをストレートに歌詞に反映して活動をはじめた。

 だが、そうした活動とは別のベクトルで忌野清志郎という人間は世間に浸透していった。「雨上がりの夜空に」の頃の新生RCに眉をひそめた大人たちも、それから10年経ったその頃には完全に受け入れていた。キワモノでもイロモノでもなく、アーティストとして社会認知されたのである。

 にもかかわらず、清志郎はそんなことはどうでもいいかの如く、自分の気持ちの赴くままにロックを享受し続けていった。「パパの歌」があって、「君が代」のロックンロールもある。はたまたロード・バイクで遠乗りする。それが忌野清志郎。誠実で正直、すぎる。

 だからいつも刺激的な存在だった。それだけにガン発覚時の「新しいブルース」の言葉が似合いすぎた。

 RCが絶頂だった1980年代前半を、私は中学高校と過ごしたわけである。その頃は1年1年が新しかった。今は10年前の出来事も流行りも最近のことと感じる。つまり多感で吸収ばっかりしていた中高の頃に聴いたアルバムには、それぞれに確固たる思いや熱や諦めや、なんやかやが詰まっている。

『RHAPSODY』から『Please』、『BLUE』、『BEAT POPS』、『OK』、『FEEL SO BAD』、『ハートのエース』。これらのアルバムを聞けば何年生の時期で、こんなことを考えてたということが即座に思い浮かぶ。教室の風景や行事に至るまで。

 いわばRCは私の「Teenage Blues」なのであります。

 

 

 

#005『The Nightfly』Donald Fagen(1982)

f:id:yokohama-record:20210430172234j:plain

写真自体も、モノクロ写真に青のフォントも何もかもカッコよかった

 

『ナイトフライ』ドナルド・フェイゲン

 

sideA

1. I.G.Y.(I.G.Y.)

2. Green Flower Street(グリーン・フラワー・ストリート)

3. Ruby Baby(ルビー・ベイビー)

4. Maxine(愛しのマキシン)

sideB

5. New Frontier(ニュー・フロンティア)

6. The Nightfly(ナイトフライ)

7. The Goodbye Look(グッドバイ・ルック)

8. Walk Between Raindrops(雨に歩けば)

 

[Recording Musicians]

Guitar : Larry Carlton, Hugh McCracken, Rick Derringer, Dean Parks

Bass : Chuck Rainey, Anthony Jackson, Marcus Miller, Will Lee

Keyboard : Greg Phillinganes, Rob Mounsey, Michael Omartian

Drums : Jeff Porcaro, James Gadson, Ed Green, Steve Jordan

Horns : Michael Brecker, Randy Brecker, Dave Tofani, Ronnie Cuber, Dave Bargeron

Percussion : Starz Vanderlocket, Roger Nichols

 

Donald Fagen : Synthesizers, Synth blues harp, Electric piano, Organ, Piano,

 

Produced by Gary Katz

 

 

 

 

スティーリー・ダンも知らず、一切の知識なしで聴いた「The Nightfly」

 

 中学3年の初冬頃、愛読しているFM誌のアルバム・レビューにかっこいいレコード・ジャケットを見た。モノクロ写真に青文字、ネクタイを緩めたシャツの腕をまくり、渋い短髪のおじさんがターンテーブルを前にして右手にタバコ、左手はテーブルに乗る短いマイク・スタンドを軽く押さえ、クラシックな大きめのマイクに首を傾げつつ何かボソボソと話しているような絵だ。つまりこれはラジオのDJブース内なのだ。左下に置かれているアルバムはソニー・ロリンズの「The Contemporary Leaders」とライナーノーツに小さく書かれていた。これは今回初めて気づいた。

 このジャケットにいたく魅入ったのだった。

 Fagenの読み方もよくわからないまま、この「The Nightfly」というアルバムが脳裏に焼き付いた。

 確か土曜か日曜の0時前後の時間帯に、アルバムを全曲流す番組があり(そういう番組は他にも結構あった)、そこで「The Nightfly」が取り上げられた。

 以前にもちょっと触れたが、この頃のFMは事前にどの番組でどんな曲がオン・エアされるのかが知らされていた。当時数誌あったFM誌にはいずれも2週間分の番組表とそこで流される曲がほぼすべて記されていた。その番組表に、エア・チェック(録音)したい曲をマーカーで塗る。これも楽しい作業だった。今はきっとやらないだろう、根気のいる作業なのだ。

 東京にはまだNHK-FMFM東京(現TOKYO FM)の2局しかなかった時代。FM自体がまだ開局して10年ほどの頃。AMよりも格段に音質が良く、ステレオ放送だったために、DJの話と曲のイントロが重なる今のスタイルとは異なり、曲紹介をしてからほんの少し間を空けて曲がはじまった。つまり、カセットに録音するマージンを放送局がとってくれていたのである。

 さらにはA面が終わると数分のしゃべりを挟んでB面をかけるという番組も珍しくなかった。この夜の番組もそのスタイルだった。

 番組表で事前にこの番組で「The Nightfly」を全曲オン・エアすることを知っていたので、カセットテープをセットして待っていた。

 ちなみにこの時点で私はドナルド・フェイゲンという人をまったく知らないし、もちろん彼のバンドであるスティーリー・ダンも名前さえ聞いたことがなかった。ただ、あとで気づいたことだが、スティーリー・ダンのアルバム「Gaucho」のジャケットは見ていた。数年後にこのアルバムを見て、「これはスティリー・ダンだったんだ」と発見したことを覚えている。

 ともあれ、「The Nightfly」のアルバム・ジャケットの魅力のみで、このアルバムを聴いてみたいと思ったわけだ。

 休日の深夜帯、自室で初めて聴いた本作、唖然として言葉が出なかった。中3のくせに極上のサウンドに身体が動かなくなった。決して大袈裟な表現ではない。

「これは人が演奏しているのか」

 それが最初に浮かんだ感想だ。正確で精緻で余計な感情がなく、一糸乱れず揺れもブレも現れてこない。いや、おそらく揺れもブレもあるのである。でもそれさえをもほとんど計算され(あるいは感覚的に)、プレイヤーたちの個々のブレをきちんと管理し、決して散漫にすることなく、グルーヴ感を生み出しているのだ。これはコンピュータでは醸すことのできない、演奏してこそのアンサンブル。

 どのように録音したのか。どのくらいの時間がかかったのだろうか。わずかなミスをも許さないレコーディングだったことは容易に想像できた。当時の私でさえこれは「職人技」だと思った。

 そして私はこのアルバムを日に何度も聴いた。このほとんど偶然の出会いに唸らされたわけである。

 自分の人生における音楽的エポック・メイキングはいくつかある、いや結構ある。このアルバムとの出会ったことも、勿論そのひとつなのである。

 

 

歌詞はキツイが、サウンドは練りに練られて息つく間もない

 

 アルバム冒頭を飾るのが「I.G.Y.」。これは「International Geophysical Year」(国際地球観測年)の略で、1957~58年に起きた国際研究プロジェクトのこと。気象学、海洋学のほか、宇宙線地磁気、重力などといった計12の項目について各国協力のもとに観測、研究が行われた。乱暴に言ってしまえば「地球を知ろう、宇宙を知ろう。科学が発展する未来は明るい」という希望を持った運動だったわけである。

 このタイトルでドナルド・フェイゲンはこう歌う。

 

情と展望をあわせ持った人間達がプログラムする

ただの機械が偉大な決定を下す

計画が完了すれば

私たちはみんな純粋そのもの

とこしえに自由で

決して年老いることもない

 

素晴らしい世界がやって来る

自由になれる輝かしき時代

 

 揶揄しているのか。辛い。いや、そんなに能天気でいいものだろうか、と言っているようである。すべてがいい方向に行くわけではない、反作用も必ず現れて来ると暗に言わんとしているのでは。1982年という時代に20数年前の社会的機運を歌っているわけだから、批判というよりは諦観に近いか。

 アルバムのライナー・ノーツに「Note」とタイトルのついた短い文章がある。全文紹介したい。

 

「このアルバムに収められている作品は、’50年代後半から’60年代初めにかけて、アメリカ北東部の郊外で育った若者が、抱いていたはずのある種のファンタジーをテーマにしたものだ。即ちそれは、私のようにごくありふれた体つきの若者が主人公ということだ。」DF

 

 諦観の中にも郷愁が見え隠れするという思いが感じ取れる。DFは言わずもがな、Donald Fagen

 サウンドのほうはキレキレだ。キラキラするようなシンセのイントロから、アーバン・レゲエとでも言ったようなミドル・テンポの裏打ちのリズムに、情感豊かなホーン・セクションが重なる。ブレッカー・ブラザースだ。いわゆるAORと呼ばれるジャンルに分けられるのだろうが、それを完全に超越している。もはや彼自身が独立したひとつのジャンル。イントロや間奏で印象的に響くのは、フェイゲンが奏でるシンセ・ブルース・ハープとのクレジット。スティーリー・ダンでも聞かれたこの音はこれなのか。

 ともあれ、この1曲で15の私は完全に掴まれてしまったのだった。

 続く「Green Flower Street」はエレピのイントロではじまり、歯切れのいいクラビネットとリズム・ギターが乗ってくる軽快なポップ・ソング。だが歌詞はこれもシニカル。「殺人事件」、「夜も昼のように輝き」、「あの娘の兄貴は激怒している」、「ぼくはグリーン・フラワー・ストリートにぞっこんなんだ」。ちょっと尋常でない世界が描かれている。リード・ギターはラリー・カールトンで、「I.G.Y.」以外の全ての曲に参加している。ドラムはジェフ・ポーカロで、やはりほとんどの曲で叩いている。

 3曲目はR&Bタッチの「Ruby Baby」。それもそのはず、オリジナルはドリフターズ。本アルバム唯一のカバー曲。ための効いたアレンジと美しいフェイゲン流ドゥー・ワップが身体を揺らす。間奏でキンクスの「You really got me」のメロディが奏でられるのは嬉しい遊び。その間奏のあとの転調と、最後のサビのリフレインが気持ちいい。

 A面最後は「Maxine」。3連のロッカ・バラードで、ほぼ全編フェイゲンのハモりと、その裏でラリー・カールトンインプロビゼーションが絡んでいる。音数は少ないが、効果的にオルガンやピアノがツボを抑えにくる。ホーンも浮遊感を漂わせながら背景を彩る。実に美しい楽曲となっている。歌詞はマキシンとの愛なのだが、やっぱりちょっとおかしなところがあって、じっくりと訳詞と向き合ってみて欲しい。

 まったく時間の経過を感じさせずにA面が終わる。楽曲の並びの起伏も申し分ない。もちろん捨て曲もなし。

 

 

やはりこの人は声だとあらためて納得するコーラス・ワーク

 

 B面のはじまりは「New Frontier」。新しい開拓者、何が? と歌詞を見てみる。

 

 どんちゃんパーティがはじまるぜ

 サマー・スモーカーは地下の中

 共産主義者がミサイルのボタンを押したときにそなえて

 ぼくの親父が作った待避壕の中さ

 食糧のたくわえもあれば

 ビールもふんだんにある

 キーワードは新開拓地でサバイバル

 

 つまり核シェルターの中のことであり、これが新たな開拓地なのである。毒を効かせすぎている。でもそのシェルターの中で、それまでと変わらずにパーティをして、女の子を追いかける。将来の展望を語る。だからこそ毒気がより濃くなるとも言える。

 サウンドは比較的素直なアップテンポ、エレピが繰り返すフレーズと、ツボを押さえたベースが心地よい。ハーモニカのフレーズもふんだんに入ってくる。アルバム内で唯一フェイゲンが楽器演奏していない曲でもある。

 次の「The Nightfly」がアルバム・タイトルにもなっているように、リード・トラックなのだろう。歌詞は深夜のDJを描いているので、アルバム・ジャケットもこのトラックを視覚化したのだ。

 朝になると終わる深夜放送のDJ。一匹狼の放送局。コールサインは「WJAZ」。

 このコールサインを持った放送局は1922~1931年にシカゴにあったらしいが、その放送局を歌っているわけではないらしい。

 ミドル・テンポながらリラックスした夜のムードを醸すサウンド。歌詞の通り夜のラジオから流れるにふさわしい。リラックスしながらも時折マーカス・ミラーのベーズが炸裂する部分もあったりするので、聴き流せないのである。音を切る、音を伸ばすのメリハリがよりはっきりしてて、こちらも力が入ったり緩んだりの繰り返し。

 他の曲でもそうなのだが、とりわけこのB面の頭2曲はアレンジが比較的シンプルなので、フェイゲンのコーラスアレンジ、コーラスワークの秀逸さと存在感に目が行く。スティーリー・ダンでもそう。この声こそが、この声の重ね方こそが彼のサウンドのひとつの肝となっているのだ。

 B-3は「The Goodbye Look」。ライナー・ノーツにはキューバの革命を歌っているようである、とある。その上で歌詞を読めば納得。

 

 ところが今やアメリカ人はほとんど姿を消し

 残ったのは二人だけ

 大使館にも寄れない始末

 

 曲中、スティール・パンに似せたシンセ音が響き、左右から押さえ気味のパーカッションが鳴る。フェイゲン流のカリビアン・ビートのアプローチ。サビの部分でものすごく低音の太鼓が鳴るのだが、これは今回ヘッドフォンで聴いていて初めて気づいた。アルバム中では異質の曲と言えるが、それでもきっちりとオリジナル・サウンドに仕上げている。誰が聴いてもドナルド・フェイゲン

 アルバムを〆るのは、明るい4ビートの「Walk Between Raindrops」。ジャジーなオルガンとラリー・カールトンの抑え気味のギターが心地よい。この曲は他の曲とはリズム隊が異なり、ドラムがスティーブ・ジョーダン、ベースがウィル・リー。ある意味、ジャズ編成となっている。

 心踊り、浮き立つようなサウンドだが、歌詞はそれとは裏腹にメロドラマ。喧嘩をした男女が仲直りして、雨の隙間をついて歩いていくというもの。フェイゲンにしては素直な内容。しかもあっという間に終わってしまう。

 本気のお遊びのような曲だ。

 

f:id:yokohama-record:20210430172545j:plain

これが「郊外の無秩序な住宅街」なのだろうか

 

 

‘80年代初頭のサウンドながらも、未だお手本

 

 図らずもこのアルバムと出会ってしまったことによって、私の耳は変わった。当時はそんなこと考えもしなかったが、今にして思えばこのアルバムでサウンド・アレンジやミキシングなどといった音作りの技術に対する意識が鮮明になったように思う。時流とか勢いとか流行とかおもねりとか迎合ではなく、音を作っていく個人的な快感というものがどんなものであるかを、開示してくれたのである。

 その後、じっくりとスティーリー・ダンを遡って聴いて行った。聴いて行ったのだが、あまり即効性はなかった。もちろんすぐにハマった曲もあったが、アルバム全体を頻繁に聞くということはなかったティーンの時代。しかし年を重ねるにつれ、耳が肥えていくにつれ、じわじわとその世界に引きずり込まれていく。

 決定的だったのは1990年代半ばの再結成時に発表されたライブ・アルバム「Alive in America」だった。それまでは過去の彼らを後追いしていたのだが、このときは初めてリアルタイムにスティーリー・ダンの音楽に触れた。演奏されたのは昔の曲なのだけれど、でも同時代に活動しているという現実が興奮を誘った。

 そこであらためてまた昔のアルバムを引っ張り出してきて聴く。前よりもツボが増えてて、グッとくる。これをその後も何年かに一度繰り返すわけだ。

 ドナルド・フェイゲンスティーリー・ダンAORに括られることもある。そういうテイストもあるが、私から見るとAORの端っこのほうに引っかかってるといった感じ。当時はフュージョンとかクロスオーバーなどという風な色分けもあった。ポップなジャズといった居心地のいいサウンドで、そっち系のミュージシャンもフェイゲンやスティーリー・ダンのレコーディングに名を連ねている。

 私はAORが好きだ。日本のシティ・ポップと呼ばれるサウンドも、今思えば大好きだ。ジャンル分けはあまり意味がないが、あとになってそう呼ばれているミュージシャンやアルバムを眺めていると、「これ聴いた、あれも好きだった」ということが多い。だから好きだったものがAORと呼ばれているもの、という感覚である。AORだから好き、ではない。

 スティーリー・ダンは再結成後も断続的に活動を続けていたが、フェイゲンの相棒、ウォルター・ベッカーが2017年に亡くなってしまった。フェイゲンは「ベッカーとともに作り上げてきたスティーリー・ダンの音楽を続けていく」といったことをコメントしている。それはベッカーに対する賛辞であり、感謝であり、自身に対しての覚悟でもあるのだろう。

 さて「The Nightfly」、これだけの完成度のアルバムなので、それを語ったり分析したりする記事は当時から多かったし、現在でもプロアマ問わずブログで詳細に触れているものも目にする。その極みが冨田ラボが著した2014年の「ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法」だろう。発売当初から実に気になっていたのだが、まだ読めずにいる。読むのが怖いし、読んでしまうのが勿体無いという気持ちが強く、手を出せずにいる。

 冨田ラボは日本のドナルド・フェイゲンだ。彼の音楽を聴いていても唸るところ多く、フェイゲンを彷彿させるような曲もある。そんな彼が分析する「The Nightfly」だ。相当細かい部分まできちんと精査、分析しているのだろう。やはり読まないわけにはいかない。

 

 

THE NIGHT FLY

THE NIGHT FLY

  • アーティスト:FAGEN, DONALD
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: CD
 

 

 

The Nightfly

The Nightfly

  • 発売日: 2012/07/27
  • メディア: MP3 ダウンロード